アスペルガー症候群の勘違いと、深層心理の教育の関係

 『農耕が障害者を生んだ』という、面白い説を提示なさっている方のブログを読んで、考えさせられるところがあったので、遺伝子が脳をどのように設計して、神経回路網を作り出しているのかという、私が専門とする視点から、書いてみようと思います。農耕文化の発達だけが原因ではなく、意識容量と不釣合いな人類の脳の急激な発達と進化や、人工的な不自然な生活環境の形成が、深層心理の発達不良を生み出す方向に進んでいる、と私は見ています。

 アスペルガー症候群は一般に、知能に問題が見られない発達障害のように把握されていますが、これは大きな間違いです。明らかに知能に問題が認められるのに、その点が正しく理解されていない問題があります。人間は意識して言葉でものを考えているだけではなく、深層心理の次元で、無意識のうちに連想して物事を考えます。この部分が、人間の知的情報処理の中核であり、知能の本体です。無意識の連想能力、つまり直観力が低下して、極端に察しが悪い状態を、アスペルガー症候群と呼んでいるケースが多く見られます。短絡的に、意識的な思考=知能で、それに問題がなければオーケーといった、意識上の思考のみを人間の知的な能力と勘違いする考え方が広まっているようです。現実には、意識できる自分の思考はほんの氷山の一角で、脳の中で行われているほとんどの知的な情報処理は、無意識のうちに深層心理の次元で行われる連想によって成り立っているのです。人間の意識容量や意識のチャンネル数(チャンク・チャンネルの数)は限られているため、意識は精神活動の一部分をモニターしているにすぎない状態だということを、十分に理解していない人々が発信した情報によって、混乱しているのです。罹患率が0.1%〜20%という、大きなばらつきを見せることひとつとってみても分かるのですが、この症候群を正しく診断する基準がまだ十分定まっているとは言えない状況です。診察する医師によって判断がバラバラ、つまりあやふやということなのです。


 さまざまな症状を示す人々を、アスペルガー症候群としてひとくくりにまとめて、脳機能の障害にばかり気を取られている専門家がいます。味覚の感度が普通の人と違うため、料理に対して一般とは異なる感じ方をする人は、脳の配線そのものが、どこかで違っていることが考えられますが、そのような特殊なケースと、コミュニケーションの次元に問題を抱えている人の発達障害は、原因がまったく異なる可能性のほうが高いでしょう。ところが、症候群と言って、すべてひっくるめて診断してしまっているケースがあるようです。可能ならば、症状ではなく原因別に分類していくほうが、対処方法も明確になって望ましいのですが、原因にまで十分に目が向かない人が多い気がします。

 凄い診断に出会ったことがあります。10歳になってもお箸がうまく使えず、字もうまく書けない子がいました。脳の特定部位に障害があるため、発達障害が生じていると、私に向かって説明した人がいました。私はその子の目が部屋を見回して情報を拾っていく動きを観察して、その診断は間違いだと感じました。試しに、その子に携帯ゲーム機を手渡したところ、普通の子と変わらないゲーム内容で、かなり高い得点を出していました。基本的な運動神経や判断力に問題がないことを確認できたので、文字を書いたりお箸を扱うのに必要な指の動きについて話をしたのですが、うまく出来ないことがわかりました。親指・人差し指・中指の三本の先端をぴったり突き合わせた状態で、前後に動かす運動が出来なければ、鉛筆も箸もうまく扱うことは出来ません。親から一度も箸の持ち方やトレーニング方法を教えてもらった経験がなければ、うまく扱えなくてあたりまえです。お箸の手の動きは簡単に習得できるものではありませんからね。それなのに、「教えなくても自分で大人がやっていることを観察して、できるようになるのがあたりまえ。できないのは異常な子」という先入観のような発想があるのか、この重要なことが、その子の周囲の大人達には理解できていない様子でした。私が物心ついたときには親から学んで知っていたトレーニング方法を、初めて聞くような顔をしたのです。「鉛筆やお箸がうまく使えない」という苦手意識を、周囲の大人が作って、本人の頭の中に定着させた結果、出来ない癖が付いてしまい、逃避しているにすぎないことが、推察できない状態にある人の手で、不可解な診断を下されていたのです。脳の特定の部位に障害があるため、お箸がうまく使えず、字も上手に書けないアスペルガー症候群と診断された子は、私のアドバイスにしたがって3日間50回ずつ、箸を持たない状態で、突き合せた三本の指を勢いよく伸ばすように弾くトレーニングをしただけで、正しく持てるようになったのでした。ゲーム機の操作が、普通の子以上にできる器用な子なのに、お箸がちゃんと扱えないなんて、周囲の教育の問題であって、本人に原因があるわけではないと思いました。


 脳の機能そのものに何か物理的な問題があるケースは、このような場で言及してもあまり意味がないので、深層心理の次元で、無意識のうちに働く連想能力、つまり直観力が未発達のままになっている心因性(後天的学習に問題がある)のケースに限って、傾向と対策を見ていこうと思います。もちろん、以下に述べるケースを、アスペルガー症候群として扱うことは、正しくない可能性が高いと思います。というのは、アスペルガー症候群は、生後の教育が原因で発生するわけではない、とされているからです。


 深層心理の働きと意識の関係を理解するには、このようなケースが一番顕著で分かりやすいでしょう。幼児虐待を繰り返す母親の悩みを聞いてあげていると、「幼い子供が拙いことをするのは当たり前で、それを頭ごなしに叱ってはいけないと理屈では分かっているにもかかわらず、子供が悪さをするのを見ていると、どうしても腹が立ってきて、折檻せずにはいられなくなる」泣きながらこう訴えるケースに出会ったことがあります。本人の意識上の理性の働きとは別に、深層心理が攻撃的な衝動を生み出していて、しかも理性では抑えきれなくなっているのです。これは、個人だけの問題ではありません。虐めなどの集団心理の形成過程にも潜んでいます。自分達と違う要素を見つけてレッテルを貼り、反感を煽って排斥心理が暴走する状況を作る社会現象が虐めです。これは、理性の働きで起こっているのではなく、深層心理の次元で起こっている出来事であり、劣った存在に対して加害行動を取るように思考パターンを強化されていった結果なのです。だから、学校の先生が、「虐めは悪いこと」と、言葉を用いて教育しても、理屈では分かっていても、根本的な解決にはならないケースが多々認められるのです。「虐めの問題は根本的に解決することが不可能」とすら言われることがあるのも、このためです。虐めや幼児虐待といった、弱者を攻撃する思考パターンが、無意識のうちに働いて、理性によってコントロールできなくなる現象については、別に項目を立てて書きます。ここでは、人間の思考の大部分は無意識のうちに行われていて、意識はそれをモニターして、自己観察に基づいてフィードバック制御しているだけで、深層心理の働きの一部しか人間は意識することができないので、深層心理を意思の力でうまくコントロール出来ない状況が生まれることもある、と理解していれば十分と思います。


 アスペルガー症候群に話を戻しましょう。この診断を受けた人に向かって、「最近どうなの?」と曖昧な質問をすると、「どうって?」とよく問い返されます。「体調のこと? 友達づきあいのこと? それとも勉強のこと? いったい何の話をしているの?」といった反応が返ってくるのです。推察する能力が低いので、具体的に何を質問されているのか見当が付けられず、本人も不安なんですね。意識上で言葉を用いて物事を考える能力には、ほとんど問題が認められないのに、無意識のうちに情報を整理する能力が、うまく機能していないことが原因です。

 妥当な思考のパターンを無意識のうちに選別する、直感的な連想能力が育たない原因として、幼少時のエンパシー能力の習得が不完全なままの状態に置かれていることが考えられます。アスペルガー症候群と診断される人は、他人が何を考えているのかよく分からないため、人付き合いに抵抗を感じて戸惑うことも顕著な特徴です。ジェスチャーや表情、他人との距離のとり方など、言葉以外のコミュニケーションのことを、エンパシーと呼ぶのですが、この能力が未発達のままの人が多いのです。その結果、極端に空気が読めないように見えることも、珍しくありません。

 じつは、これにもうひとつの重要な要素が関わって、アスペルガー症候群だけでなく、自閉症の問題がうまく社会的に解決できなくなって、自閉症の診断が下される頻度が大幅に増加する傾向を見せていることに、ほとんどの専門家がまだ気付いていません。アスペルガー症候群に該当しない現代人でも、エンパシー能力、つまり、言葉を用いないレベルのコミュニケーション能力が、極端に低い人が急速に増える傾向を示しています。そのため、アスペルガー症候群の人が、どこまでの事柄なら理解できて、どこから理解出来なくなって躓くのか、うまく推察することが出来ないのです。上の例で考えるなら、そもそも、症状がある人に向かって、「最近どうなの?」と問いかけてはいけないのです。そんな曖昧な言い方では会話が成立しないことを、話しかける側があらかじめ予想して、相手が困らないように気遣いを見せるのが親切というものでしょう。「このぐらいの察しがつかなくてどうするの」「理解できないのはおかしい」といった、否定的な態度を取ること自体が、明らかなコミュニケーション能力の低下だということを、認識出来る人が減ってきています。これは、小さな子供と話をする場合と同じです。相手に理解できない言葉や表現を使って話しかければ、コミュニケーション能力に問題があると受け取られてもしかたがないでしょう。つまり、現代人のエンパシー能力の低下が、自閉症アスペルガー症候群の問題を際立たせてしまっています。常識的なフォローをしたり、症状が改善するようにうまく相手を誘導してあげる教育的な能力が、著しく低くなってきているのです。自閉症児の改善は2歳頃までの環境が非常に重要ということが分かってきているのですが、大人の側が教育する能力が重要な鍵を握っているのです。現代人のエンパシー能力の低下が顕著に現れるのが、動物や赤ちゃんと接する場面です。


 動物には言葉が通じません。考えを表情から読むこともほぼ不可能です。それでも、エンパシー能力が発達している人は、自然と気持ちが分かるものです。たとえば、飼っている犬が、その日に限って散歩したがらないのを見て、「今日は機嫌が悪いみたい」と言った友人がいるのですが、私は犬をちらっと見て「食中毒でしょう。こっそり何か悪いものを拾い食いして、お腹が痛くなって、バツが悪いみたい」と指摘しました。友人は、見ただけでそんなことが分かる筈がないと、私の言葉を信じなかったのですが、散歩中に下痢をして、はじめて私の指摘が正しかったことを理解しました。斎女(巫女)の私は、普通の人と違う感受性を示すことがありますが、犬語が理解できるわけではありません。その程度のことは、勘がいい動物が好きな人ならば、見れば自ずと分かるものなのです。こんなこともありました。赤ちゃんがなぜ泣いているのか分からずに、オムツを見ようとした友人に向かって、「髪の毛を握らせてあげて」と言って、彼女の髪の毛につかまらせたら、すっと泣き止んだのです。赤ちゃんは、慣れない環境の中に連れ出されて、ストレスを受けて不安を感じたので、母親にすがりついて安心したいと思っていたのです。猿の赤ん坊は、母親の毛を掴んでしがみつきます。人間の赤ちゃんも本能的に母親につかまって安心感を得たい本能を持っているのは同じです。しかし、髪の毛を握らせる習慣を持っている現代の母親はほとんどいません。そのため、ストレスを緩和する術がない状態に置かれて、泣き止むことが出来なくなっているケースがよくあるのです。女にとって髪は命だから、むやみに短く切ってはいけいなという認識はあっても、髪の毛の重要な活用方法は、すっかり見失われてしまい、現代の母親は察しが悪くなりすぎているのです。あまりこの言葉は使いたくないし、誤用確定なのですが、簡単に言えば、アスペルガー化している』、とも言えそうです。

 これは、現代の物質文明を支えてきた、西洋型の思考様式が生み出した、『言語思考至上主義』弊害と言えます。「言葉を話すように知的に進化した現生人類は、動物的な本能的直感などという、くだらない原始的で劣ったコミュニケーション手段など、用いる必要も学習する必要もない。」このような考え方が、気付かないうちに水面下で蔓延してしまった結果、起こっている悲劇と言えるでしょう。言語思考至上主義の発想が、赤ちゃんと母親の正常なコミュニケーションの機会を奪って、赤ちゃんの情緒やエンパシー能力が発達するのを妨げているのが現実です。泣いている我が子を見ても、なぜ泣いているのか理解できず適切な行動が取れない、著しく察しが悪い親の姿を見ても、何の疑問も感じない一般的な現代人の感覚は、人類の原初的な生存の様式『プロトカルチャ』標準状態から、大きくズレてしまっているのです。知的情報処理能力に著しい欠陥を抱えた、脳の発育が不完全な親が大半という危機的な状況に、何の違和感も抱かない現代人の察しの悪さは、問題がありすぎると感じます。

 なぜ、現代人の間に深層心理の機能不全が起こって、一般化して定着しているのでしょうか。すでに察しの良い皆さんは推理していると思います。「物事を察する能力が低い親に育てられて、赤ちゃんのときに、情緒やエンパシー能力が発達する機会を失ったことに原因があり、エンパシー能力が未発達な子が、成長できないまま親になって、深刻な悪い連鎖が繰り返された結果」だと。しかし、プロトカルチャというものは、本能や深層心理によって構成されていて、無意識のうちに自律的に機能しています。人間の意識的な思考で、簡単に歪んで機能不全を起こすようなことは、通常はありません。この現象の発生原因は、現代人の言語思考至上主義の発想にあるわけではないのです。現代人特有のエンパシー能力の著しい低下を含む深層心理の機能不全は、『動物園現象』のひとつとして説明が可能です。

 『動物園現象』という言葉は、私の父が現代人が示す傾向を観察した結果、問題点を説明するために作った、その場限りの造語なので、ネット検索してもヒットしないと思います。動物園の檻の中という、不自然な人工環境の中で育てられた高等哺乳動物は、普通に餌を食べて寝起きするのは何の支障もないように見えながら、出産して子育てをする段階になって、突然育児拒否などの深刻な問題行動を取ることが知られています。母親としての本能が正常に発現しないのです。察しが悪いどころの話ではありませんね。現代人の生活も、不自然な人工環境が生み出すさまざまな問題を抱えているため、動物園の檻に入れられた高等哺乳動物と同じような、深層心理の歪みを抱えてしまう傾向が見て取れるのです。プロトカルチャ、つまりは人類の原初的な標準状態の文化形態(原始時代の文化形態ではない)と、現代人の生存の様式の間に、大きなズレが生じた結果、深刻なストレス社会が形成されています。ところが、自然調和した標準状態の人類のライフスタイルがどのようなものか、現代人にはまったく見えなくなっているため、問題性に気付けないのです。「自然に帰れ」とカッコよく台詞を決める人は大勢いますが、具体的に何をどうすべきか質問しても、答えが示せない人が多いのは、プロトカルチャの実体が見えていないことが原因です。この問題は、生得的真理について語る機会があれば、いつか書こうと思っています。


  現代人特有の推察能力の低下について、人類の進化という切り口からも、少し観察しておきましょう。人間が無意識のうちに察して理解するには、深層心理の次元で働く思考パターンが、脳の神経回路網のパターンの形で、予め存在している必要があります。赤ん坊は何かを手に握り締めていると落ち着きます。だから玩具を持たせておくのが現代人の習慣です。ところが、本来は玩具ではなく母親の毛を持たせておくべきなのです。猿だった頃は、母親の体毛を掴んで体にぶら下がっていたのですから。現代人の母親が、胸に抱いた我が子に髪の毛を掴ませて安心させることを察することが出来ないのは、その思考パターンが、無意識の次元に存在していないからです。進化の過程で、体の毛が抜け落ちていき、それに伴って本能も薄れていったのです。母親の脳にはっきりとした形で存在せず、赤ん坊の脳には名残があるので、呼応関係、心のキャッチボールに相当するスキンシップが成立しない状態になっているようです。もちろんそれを補うのが、生活文化のはずですが、現代社会は古い時代の知恵を迷信と考えて継承しない傾向があるため、さまざまな問題が生じているのです。

 アスペルガー症候群と誤って診断される場合は、さらに人類が知的な方向に進化したことによって、限られた意識容量ではモニターできない深層心理の領域が大きく拡大していってしまい、発達障害の傾向を強めていると言って良いのかもしれません。無意識の思考パターンを形成する神経回路網の発達に、障害が発生している可能性があるのです。エンパシー能力は、普通に人間に備わっているのに、現代人はほとんど使っていないので、察しの悪い親に育てられた子は、ほとんど発達しない状態に置かれてしまいます。相手の考えを察して理解する能力が発達しなければ、無意識の連想能力を鍛える機会を持つことが出来ず、「最近どうなの?」と曖昧な質問をされただけで、頭の中が混乱するようになってしまうのです。


 脳の神経回路が使用されず、未発達なまま置かれてしまっていることが顕著に現れる、動物や赤ちゃんと接する二つのケースについて説明したので、話題にしている現象のほうは理解できたと思います。でも、脳を使う・使わないことが、どんな結果をもたらすのかは、お箸がうまく使えなかった10歳の子供の例だけでは、十分把握できない人が多いと思います。そこで、見るだけで結果が判断できる絵を描く能力を例に説明してみましょう。人の顔を描こうとしても、「小学生の落書きみたいな絵しか自分には描けない」と思っている大人はかなりいます。「自分は絵の才能がない」のだと考えて、あきらめている人が多いようです。ところが、そんな人でも、顔写真を上下反対にして机の上に置いて、それを純粋輪郭画法(blind contour drawing)で模写するトレーニングを、一日一時間一週間続けてもらうと、ほとんどの人が、それらしい人物画を描けるようになります。何が起こって絵が描けるようになったかというと、左脳から右脳に、脳の神経回路の使い方を切り替えることを学んだ結果なのです。左脳はデジタル的な処理に秀でているので、左脳が優位の状態のときには、記号的な漫画のような人の顔しか描けません。右脳はアナログ処理が得意なので、右脳の神経回路を使うと、芸術的な絵を描くことが可能になるのです。面白いことに、右脳の神経回路が優位になると、思考のモードが切り替わり、絵を描くことが楽しくなります。熱中すると時間感覚が無くなります。気付かないうちに時間が経っていた経験をする人がほとんどです。これは、時間感覚は左脳が担当しているので、右脳が優位のうちは意識しづらくなるからです。また、周囲の人の話し声が、小鳥の声のように、意味を持たないものに感じられるようになります。絵を描くことに夢中になっているときに話しかけられても、気付かない人は珍しくありません。右脳は言語を理解できないから起こる現象です。こういった事柄は、『脳の右側で描け』のなかで詳しく説明されているので、興味をお持ちの方は読んでみてください。無意識レベルで作動している脳の神経回路網の使い方は一通りではなく、極端な場合には、右脳・左脳の働きの違いといった形で現れて、脳のモードの切り替えとして説明できるような、顕著な機能の差となって現れることもあることが理解できたと思います。

 絵を描くときに、思考モードが切り替わる現象を観察した結果、お分かりと思いますが、脳の神経回路網は、遺伝子情報系がプリセットしてくれていても、積極的に使わないと、小学生レベルの未発達な状態のまま、成長が止まってしまうことがあるのです。自分は絵を描くのが苦手だと思って使わないで逃げていると、いつまで経っても成長しませんが、人の顔写真を上下反転させた状態にして模写するといった、常識はずれのちょっとした工夫をして、純粋輪郭画法といった積極的なトレーニングをすることで、思考モードを切り替えるコツを会得すれば、短時間で発達させることが可能な場合もあるのです。これは、なにも左脳と右脳の切り替えだけではありません。エンパシー能力についても、多くの現代人は使わないから、同じ状況に置かれているのです。自分は人付き合いが苦手だと感じて、人付き合いを避けているのは、絵の才能がないと思って、絵を描くことを避けるのと同じような結果をもたらします。現代人は、人工的な偏った不自然な環境で育てられるため、脳の特定の神経回路が、未使用・未発達のままに捨て置かれて、エンパシー能力の欠落などの形で現れているのが現実です。その極端なケースを観察した一般の人が、アスペルガー症候群という発達障害と間違って理解しているケースも見られるのが実態なのです。


 深層心理学の世界では、未発達な深層心理はコンプレックスとなって、心に歪を生み出すことが知られています。未発達な深層心理って、具体的には何のことでしょうか? 勘の良い人はすでにお気付きと思いますが、未使用・未発達の脳の神経回路網と、未使用・未発達の深層心理は、同義です。つまり、メンタルヘルスケアをすれば、エンパシー能力の欠落など、『動物園現象』の結果として生じた空白部分を埋め合わせることは可能なのです。アスペルガー症候群と診断されたケースでも、自ずと解消される可能性を含んでいるのです。もちろん、脳に物理的な機能障害の原因がある場合には、この考え方は適用できないこともありますけどね。

 一番効果的なのは、コミュニケーション能力の学習訓練です。子供がよくやるままごと遊びは、何の意味もなく育まれてきた遊びの文化ではありません。人間は脳の中に、このような遊びの文化を作り出す要素を、プロトカルチャとして生得的に持っていることが、分かってきつつあります。ユングの言うところの、集合的無意識の正体がより具体的に解明されつつあると考えてもいいでしょう。遺伝子情報系が保持している脳の神経回路網の設計図に依存しているため、品種(人種)が異なる民族間では多少の差異が認められることも、ある程度見えてきました。ままごと遊びという、生身の状態で相手と触れ合って、交流して遊ぶRPGロール・プレイング・ゲーム)を通して、子供のエンパシー能力は大幅に向上していきいます。

 この問題に真正面から取り組んでいる、一般の人に分かりやすいアニメに『ウィッチブレイド』があります。パッケージデザインなどから直感的に、戦闘をテーマとした殺伐とした暴力表現の多い作品、という印象を受ける方も多いかもしれませんが、日本語版のアニメのテーマは、そんな単純なものではありません。親子の心の絆とは何か。人工環境の中で育てられた人間は、どのような心の問題を抱えるのか、分かりやすく描かれています。そして、心温まる素晴らしいラストシーンを迎える作品です。同じような母性の回復をテーマとした優れた漫画作品として、『REX 恐竜物語』(CLAMP)を推薦しておきます。『REX 恐竜物語』の映画のほうは、残念ながら多くの人の考えが加わってしまったのか、テーマが分かりづらい構成になって、ピンボケしています。漫画版のほうがはるかにコンセプトが分かりやすくて秀逸です。母親との触れ合いを欠いて、顔を知らず絵を描けない少女の目の前に、恐竜の卵が出現して、恐竜の赤ちゃんを育てているうちに、母親の心について学んでいき、失われていた母性を回復するという、心温まるものになっています。

 上記二作品は、優れたメンタルヘルスケアの効果を備えていると思いますが、エンパシー能力は、紙媒体、映像媒体では、十分に伝えることが出来ません。実際に直接触れ合う環境でトレーニングしていかないと、観念だけではこの問題は根本的な解決が不可能です。私は自分で出産して子育てした経験がなく、今後もその予定はありませんが、子供に恵まれない夫婦に卵子を提供する形で、若くして8人の、自分の遺伝子を受け継ぐ子供達を得ています。保育者の視点から育児をサポートしているので、ある程度のことは分かっているつもりです。養母となる母親達の、生まれてからずっと使いこなせていなかった、眠ったままの脳の神経回路網が、うまく使える状況まで持っていくには、直接エンパシーを用いたコミュニケーションをとって、鍛えていく必要があります。未使用・未発達の深層心理を積極的に刺激して、心の発達を促すには、優れた感受性・精神共感能力を備えた人との実際の交流が、絶対に必要になります。少子化によって学校の先生が余る傾向があるようなので、保育園や幼稚園の先生にエンパシー能力のトレーナーの技能を習得させて、深層心理教育の不備を解消していくことが、望ましいと思います。そのための教育者を育てる機関の設立を考えている人もいるようです。しかし、私は遺伝子情報系の中に組み込まれた、人の脳の神経回路網の設計図、プロトカルチャ本体の全体像を把握することのほうが先と考えているので、自分が好きな研究と、自分の遺伝子を受け継ぐ子供達を保育することで手一杯です。残念ですが、とても他の保母達の教育にまでは手が回りそうもありません。