ネットゲームが高じてネカフェの駐車場でリアルバトル?

周りからちょっとした事件として扱われているようなので、この場でも事情を説明しておきます。

トラブルを起こしたのは、まだ中学生の、私の弟の一人です。父親は同じですが母親は異なります。うちの一族は基本的に母系継承の社会なので、母親が伝承集団に所属していない場合、神道の文化に深く触れることなく、普通の子として育てられます。私のように、母親が海外の生まれなのに、継承者として育てられるケースは非常に稀です。その弟は、神道の世界に深く触れることなく育てられた子なので、耀姫のことを勘違いしていて、それが今回のトラブルの原因になったと思われます。

耀姫は、神社に伝わる神話の伝承をもとに斎女(依憑きの巫女)がイメージした架空の人格です。もちろん正真正銘、幾つかの神社に正式に祭られている姫神で、精神文化的な存在です。巫女舞などによって自己催眠状態になった斎女と一心同体になることで、人の目に見える状態になります。姫神は、ものの考え方や言動が人間とは大きく異なる一面があり、神の目線で行動し、託宣します。

トラブルが起こったのは、遠縁の親戚が運営している某ネットカフェの駐車場です。某ネットゲームの戦闘内容に納得がいかなかった弟が、神がかりしてプレイするのは卑怯だと言って、こともあろうに、私に対してではなく、耀姫に対して食って掛かってしまったのです。

神がかりはトランス(変性意識)状態なので、脳のリミッターが解除されます。たとえば、車に轢かれそうになって死を意識した瞬間、人はそれまでの一生を追体験すると言われています。走馬灯のように記憶が駆け巡る、という表現がよく使われるようです。これは、生命の危機を直感したことで、本能的にピンチを切り抜ける方法を、過去の記憶の中から引き出そうと、通常では考えられないスピードで、脳内を超高速検索する過程が意識された結果です。人間の脳はオーバーヒートを防ぐために、普段は作動速度に制限がかかっていますが、生命の危機に直面すると、リミッターが解除されて超高速で思考できるようになるのです。交通事故に遭った瞬間の、ほんの数秒の出来事を、数分間かかった出来事のように、スローモーションで体験する人も稀にいます。これは、実際に時間が遅くなったのではなく、脳の情報処理の速度が早くなったので、相対的に時間が経つのが遅いと感じているだけです。生命のピンチを直感することが引き金になるので、自分にそう感じさせるような危険な修行を行なって、この種の能力を引きだす技法を習得するのが、うちの一族の男衆の修験道の修行の体系です。対して、斎宮制度に代表される、兄である男王を妹である女性神官が補佐するパターンの、卑弥呼の時代の風習を色濃く伝承している、女性神官が男性神官より上位にあるうちのような、古風な神道の一族の世界では、イメージ・トレーニングを用いた修行体系が整備されていることが多いようです。

脳のリミッターの解除は、自己催眠によってトランス状態になったときにも起こります。顔の産毛を風が撫でる感覚すら、時間が間延びした状態になるため、神がかりすると、まるで空気がゼリーのように感じられます。その弟も、リミッターが解除される効果は何度か体験しているので、私に憑依した状態で耀姫が操るネットゲーム上のキャラが、あまりにも人間離れした反射神経で操作されていると感じて、私がリミッターを解除していると判断したようです。PVPをやっても絶対に勝ち目がないと感じた弟は、女に負けて悔しい気持ちで一杯になって、ネカフェの駐車場で、こともあろうに姫神の耀姫に食って掛かってしまいました。日本の神社に祭られている神々は、昔から祟ることが知られていて、耀姫も例外ではありません。迷信深い昔の人々の間では、本気で怒らせたら命を奪われると考えられてきました。神社に祭られている神様に対して、卑怯者呼ばわりの無礼を働くなど、通常はありえないことです。もちろん、人間である私に向かって、腹立ち紛れに負け惜しみを言うのは、姉弟間なら なんら問題はありませんけどね。

耀姫の付き人として一緒にいた妹や従兄弟達4人が、興奮した弟を制止しようとしたのですが、殴り倒されてしまいました。弟は耀姫のほうに向きを変えると、側頭部を蹴ろうとしました。一瞬の回し蹴りですが、脳のリミッターが解除された状態の私に憑依している耀姫にとっては、スローモーションの世界です。弟の蹴りはかすりもせず、勢い余って舞い上がった体の上下が逆さまになって、まるでパイルドライバーのように、頭から駐車場の舗装面に落ちてしまいました。意識がなかったので、病院に運ばれていきました。

この言い争いを見ていた、私達が理事を務める私立の学園の高校生達が、ネットゲームのトラブルがリアルファイトに発展した、という噂を友人の間に広めてしまったので、ちょっとややこしいことになっています。耀姫は弟の体に一切触れていないので、リアルファイトは成立していないと兄達は解釈して、高校生達にそのように説明して口止めしました。しかし、話を聞いた周りの人々は、回し蹴りから上下逆さまの状態に人間の体が浮き上がるなど、普通ではありえないと受け止めているようです。お年を召した氏子の間では、姫神の霊力と解釈するなどの混乱が認められます。若い人達は非科学的な発想を持ちたがらないので、合気道の達人になると、相手の体に触れることなく倒せることから、その系統の技だろうと推測しているようです。

高句麗国の王家が成立した東明聖王の時代から、二千年以上男王の武芸を精神的に支えてきた守り神という一面も持っている姫神なら、現代の合気道の達人以上の高度な技を使って祟ることも十分にあると考えている人もいるようです。男王を具体的に補佐するもっとも分かりやすい手段は、脳のリミッターを解除して、神通力と見間違えるような火事場パワーを導き出す、ネットゲームで言えばバッファーに相当する役割でしょう。兄である男王を、妹である女神官が守護するパターンは、天皇を宗教的に支える斎宮制度や、琉球王国祝女ノロ)と呼ばれる女司祭の長、聞得大君(チフィジン)が行なっていた祭政一致体制にも見ることができます。その源流は東アジアの広い地域に伝わるオボ(塚)信仰にあると見る研究者もいます。その原初的な姿は、脳のリミッターを解除するバッファーだった可能性が濃厚なのです。

うちの宗教法人の大学の教授陣は、駐車場の防犯カメラの画像から、弟の体に加わった加速度を推定して、耀姫の気が、蹴り上げる動きを作り出す弟の運動神経に干渉した結果、蹴り技とは異なる動きが生まれたと結論しています。つまり、気功治療などと同じ、気が伝達する精神的な遠隔作用の結果、運動神経が乱されてオーバーアクションになって、勢い余った状態で自爆したという解釈です。合気道の世界では、襲い掛かってくる相手に触れることなく倒す系統の技を、普通に見ることができます。空気投げなどと呼ぶ人もいるようです。合気によって技を受ける人の脳の運動神経が影響を受けるとする解釈は、他校の量子脳力学が専門で合気道にも精通した某教授なども著作物の中で唱えているので、オカルト現象や似非科学とは認識されていません。親戚の道場で普通に見られる現象です。ユーチューブで他の流派の動画を見ることができますが、武道の世界を知らない人から見ると、信じられない超常現象のように見えてしまうため、話題になることがあるようです。合気の力の伝播は、脳のリミッターを解除した状態で行なうと大幅に増強されるため、圧倒的な技量の差になって現われる点も、勘違いを生む原因になっているようです。

幸いにも耀姫は、弟に対して、祟り神の一面を見せませんでした。子供が相手ということもあり、手加減したのでしょう。外の家で育った子に対して、うちの一族のルールをそのまま当てはめるわけにはいきませんが、古い時代なら、神に向かって死に値する無礼を働いたとして、その場で斬首になってもおかしくないでしょう。PVP姫神に負けたという事実を、女に負けたと弟が取り違えてしまったことが、トラブルの原因です。あの子は、本格的な神道の世界観に触れたことがなく、修行を積む機会もなかった、まだ中学生の心得違いした腕白坊主です。私と耀姫は、雰囲気がまるで違う、人と神なので、混同する人はまずいません。ところが、弟の頭の中では、神がかりしていても自己催眠現象なのだから、私が姫神を演じているだけで中身は同一人物、という間違った解釈が生まれていたようです。こうしてみると、科学的視点からの解釈は誤解を生むため、昔ながらの神様の霊が降りてくる、というオカルト発想の認識を持っていたほうが、間違いが起こらなくて良いのかもしれません。伝統的な精神文化が抱えている、ちょっと困った解釈上の問題点ですね。

一族の長老が判断することで、私が言及する問題ではありませんが、おそらく適切な教育を施すということで、一件落着でしょう。たとえネットゲームの土俵の上でも、人が神に勝つことは困難なようです。お爺様は、この一件を耳にして血相を変えて、「耀姫様も、対戦ゲームなどと、お戯れをなさらないように」と諌めたくてしかたがないような顔をしていました。もちろん、本能的な畏怖の念が先に立って、誰一人姫神に対してそんなことは口にできませんけどね。父は、精神鍛錬も積んでいないのに、耀姫を恐れることなく蹴り技を繰り出すとは、さすが自分が選んだいい女の子供だと、感心していました。駐車場の画像を見て、鍛えれば強くなっただろうが、この年から訓練を始めても遅すぎる、と残念そうでした。それ以前に、自制心の欠落や粗暴な振る舞いなどを、矯正しなくてはなりません。

というわけで、本人はネットゲームをめぐって姉弟喧嘩をしたつもりが、相手が神社に祭られている本物の神だったので、事が大きく受け取られてしまった、というのが実際のところです。神との対戦は、人の側から望んでも叶わないことですが、私とリアルファイトをしたければ、一緒に親戚の道場に遊びに行って手合わせしたいと申し出ればいいのに、激高してネカフェの駐車場で喧嘩を始めてしまったのが間違いのもとでしょう。相手が一族直系の濃い血筋の者だったとはいえ、本格的な武術を学んだことがない子供に、いいように倒されてしまった、耀姫の付き人役だった兄弟達は、今大変な叱責を受けています。もちろん、あの弟は非凡な才能を持っているため、情状酌量の余地はありますが、本来あってはならないことですからね。