神社に祭られている神々の実用性。

神道を良く知る方々も、なんだこれ? と思うようなタイトルだと思います。現代の神道は、伝統的な祭祀の所作(型)を重んじる傾向があります。・・・なんて私の視点から書いても、一般の人には分かりづらいだろうから、もっと具体的に書いたほうがいいですね。「伝統的なお祭りを、文化遺産として引き継いでいくことが村興しにつながる」といった考え方で世の中は動いているようです。だから、『神様の実用性』なんて発想自体、突飛で不自然なものに見えてしまうようです。科学的実証主義に基づく教育を受けた人々は、「実用性と言うからには、神の奇跡とやらを目の前で起こして見せろ」と挑んでくることもあります。

中学生の頃、新聞部の男子の一人が、まさに真っ向から挑んできたことがありました。子供の頃から「神がかりさん」と同級生達に呼ばれていた私に向かって「神がかりの奇跡を目の前で起こして見せろ」と、取材を申し込んできたのです。そもそもの発端は、ある男子が体育の授業中に悪ふざけをしていて、折れた自転車のスポークを足に刺さして深い傷を負ったときに、保健医が応急処置をしたあとで、痛みが強いようなら私のところに行くように、と指示したことに始まります。手かざしで痛みを取り除いてあげたところ、びっくりしたように私をジロジロ見ていたのですが、後になって、通常よりも早く治ったと信じ込んだらしく、私を霊能者呼ばわりしはじめたのです。それを聞きつけた新聞部の男子が、ネタに使えると思ったらしく「そんな迷信を誰が信じるか」と、私に矛先を向けてきたわけです。生徒会長や兄達が、この思い切った神をも畏れぬ?無謀な企画に大笑いして、「耀姫が現存する神だと科学的に証明する」ために、私立の学園の大学の教授陣を空手部の部室に招いて、瓦やバーベルを用意して段取りを整えました。

まず、何もしていない通常の状態で、挑戦してきた新聞部員を含む、5人の男子の体力測定が行なわれました。次に、神剣と神楽鈴を手にした私が巫女舞をして、耀姫を神降ろししてから、男子達に気を吹き込む所作をしました。ここに明記しておきますが、神がかりの神事の正体は、自己催眠現象です。耀姫の霊の正体は、神社に伝わる伝承をもとに、巫女が頭の中にイメージした架空の人格にすぎません。でも、ただの空想にすぎないかというと、そうではありません。そのことは「神がかりの奇跡を目の前で起こして見せろ」と挑んできた男子達が証明してくれる結果になりました。兄達が演奏する神楽と、私の巫女舞によって、祭祀の雰囲気にすっかり呑まれてしまった男の子達は、言霊を響かせて耀姫が発する命令に操られる、催眠状態になっていました。本人達の意思とは関係なく体が言われるままに自然に動いて、直前に行なわれた体力測定の結果の倍近い力を発揮して、重いバーベルを持ち上げていきました。瓦割りをしたあとで、耀姫は彼等にかけた術を解いて、「さあ、もう一度割ってみなさい」と言いました。5人とも、「痛くてとても瓦なんか割れない」と口々に言いました。実験に立ち会った教授陣が、「催眠暗示に掛かっているときは、痛みを感じなくなり、火事場パワーが発揮できても、暗示を解いたら効果がなくなった」のだと、中学生にも分かるように解説してくれました。翌日、5人ともひどい筋肉痛に襲われて「耀姫様、痛みを消してください」と私のところに来たので、従姉妹達が「信者が増えたわねー」と、冷やかしました。

これって、オカルト現象とは誰も思いませんよね。実験に立ち会った教授陣も、それぞれの専門的な視点から、催眠現象だと口々に指摘して、異論は出なかったのですから。じつは、学園の運営に、親戚がかなり関わっているので、私に向かって何か異論を唱えたら、理事会から睨まれて立場が悪くなる可能性がありました。それでも学者としてのプライドがあると思うし、子供だと思って信念に反することを口にしていると、数年後には自分達の講義を受講するようになるわけですから、その場限りの下手なことは言えないでしょう。

筋肉というものは、大きな力を出すと微細な損傷を負うように出来ています。そこで、平常時はリミッターが働いて、出力がセーブされています。でも、危機を感じたり、神通力を発揮できるようになったという暗示に掛かると、リミッターが外れて、通常出さない大きな力を振り絞ります。もちろん通常以上に損傷するので、次の日ひどい使い痛みに襲われることになります。耀姫が幾つかの神社に祭られている本物の神だといっても、男の子達の体にもともと備わっていないような、大きな力を引き出すことは出来ませんでした。もしそれが可能だったら、実験を見ていた誰もが、超常現象と判断したでしょう。現実には、科学的に説明できる範囲の出来事しか起こりませんでした。そこで新聞部の男子は、「神の奇跡は科学的に説明できる催眠現象だった」と、校内新聞に突撃取材の内容を書きました。「耀姫が現存する神だと科学的に証明する」兄達の目論見は成功したのです。

スポークが足を貫通した痛みを、手かざしで取り除いてあげて以来、耀姫の信者になったオカルトマニアの男の子は、この記事に納得できなかったようです。「僕の足は耀姫様の霊力で治った」と、実験に立ち会った、大学病院の教授達のところまで、怪我の痕を見せに行ったそうです。ところが、「耀姫様の手当てで、治りが早くなったのは、生体電位が調整された可能性が・・・」と、科学的視点から説明されて終わりました。どういうことかというと、切り傷などを負うと、損傷した部位だけ電位が変わります。その損傷電位を目印に、傷口の壊れた細胞を取り除こうと免疫細胞が集まっていって、傷口を清掃するところから傷の修復は始まります。損傷電位の発生は、体の無意識の反応なので、本人の意思で調整することが出来ません。手かざしの技法を習得している耀姫の出番だと校医は判断して、私のところに行くように指示したのです。生体電位の変化は計測可能なので、専門家の間ではある程度知られていることですが、西洋医学の世界では、まだ適切に調整する技術が確立されているとは言えない状態です。そこで、伝統に裏付けられた民間療法のほうが信頼が置ける、という判断が働いたわけです。普通の怪我なら、私のところによこしたりしませんから、太った子だったので成人病のような問題が表れて、傷の治りが遅れる可能性を懸念したのだろうと思います。耀姫は、怪我をした本人の体がもともと持っている、傷を治す力がうまく現れるために必要な命令の信号を最適化しただけです。人体が備えた自然治癒力以上の奇跡が起こったわけではありません。信心深い人から見れば、ハンドパワーの霊能力のように感じられるかもしれませんが、物理的に起こらない現象を起こす力など、どこにも存在しません。オカルトマニアの男の子は、耀姫の心霊治療の効果を宣伝して回りたかったのでしょうが、神社におしかけても、耀姫自身が大学病院の教授達とまったく同じ解説をしたので(だって私の家庭教師なんだもん)、敢えなく撃沈しました。

神社の娘というだけで、オカルトが好きな人が興味本位で接触してくることがよくあるのですが、私は迷信が嫌いです。自分が出来ないことは信じません。見たこともない心霊現象も、一切信じないタイプです。ミスターマリックのハンドパワーのような手品のショーは、人の思い込みや錯覚を利用して事実誤認へと誘導するものなので、好きではありません。もちろん、霊能力者と称して、実際にはマジシャンにすぎない、集金目的の新興宗教の似非教祖達にも興味がありません。人骨を焼いた粉を私のところに持って来て、「何も持っていない指の間からこれを出して見せた凄い聖人がいる」と熱心に説明する人がいました。同じ手品を実演してあげたら、びっくりしていました。種明かししたら、床に頭を着けて、穴があったら入りたい気持ちになったようでした。神様に出来ることと出来ないことが、はっきり分かっているので、宗教トリックで私達を騙すことはまず不可能でしょう。ハイパーソニックサウンドを用いて、特定の人にだけ神の声とやらが聞こえるようにしたり、経頭蓋磁気刺激装置を用いて、幻覚を発生させたり、ホログラフィーを用いて神の幻影を見せるといった、手の込んだハイテクを用いる似非教祖もいるようです。私の父は、神主になるのを嫌って家出して、海外で機械工学を学んで帰ったような人です。子供の頃から義手や義足の製作を手伝ってきましたから、ある程度機械のことが分かります。たいていの機械仕掛けのトリックは見破れます。また、巫女みこナース電波ソングが好きな人達とも、残念ながらまったく話が噛み合いません。たぶん、育った環境が違うせいでしょう。

話を戻して、ここまで読み進んでも、「神社に祭られている神は、神話の中の架空の存在だから、文化的価値はあっても実用性はない。非科学的で現実には役に立たない」と考える人は、まずいないと思います。たしかに、神社の神様は精神文化の産物で、人々の心の中にしか存在しない架空のものですが、耀姫が神通力と見間違える火事場パワーを発揮させる暗示効果は、現実のものです。阪神・淡路大震災のとき、私はまだ小学生でしたが、人の力ではとても助けられないと、悲嘆に暮れている人達に向かって、「あなた達は火事場パワーを持っているでしょう。自分達の中に眠っている本当の力を信じなさい。ここに○○さんが埋まってますよ」と叱咤して、救出を促して回りました。瓦礫の下に埋まっていて医師の手が届かない人に対しては、私達が気を送って応急措置をしてあげました。こういった救援活動は、神社に伝承されてきた技術で実際に可能なのです。

多くの神道関係者が否定的な反応をすることを承知の上で書きますが、神社に伝わる最も価値ある実用的な伝承は、祖先の手によって創作された神話を再現する祝詞や祭祀の所作ではないと思います。もっと実用的な技術が数多く伝承されているのですから。それらを汲み取って受け継ぐことなく、説明がつかない非科学的な言い伝えにすぎないと考えたり、オカルトの世界の空想の産物と誤認して、伝承を拒絶する空気が生まれているようです。昨日は式神の有用性についてブログに書きましたが、ほとんどの神道関係者は、式神は言い伝えにすぎず、実際に使えるわけがないと、頭から否定的な反応しか示せないと思います。なぜなら、ほとんどの人が、最も重要な鍵となる、深層心理と化身をリンクさせる技法を失伝しているからです。

神道の文化を、実用的な技術として伝承している私達と、伝承出来ていない人々では、何が決定的に違うのでしょうか? 認識が異なるだけではありません。最も大きな違いは、深層心理を動かす自己催眠の暗示効果が本当に発現するかどうかです。残念なことですが、所作(型)だけで中身が伴わない祭祀を伝承しているケースがほとんどです。そうなってしまった原因は、幕末の頃に国学者達の手によって広まった、間違った認識にあります。簡単に言えば、神社に祭られている神々は、どうせ架空の存在なのだから、そんなものを巫女に降ろしてもまったく意味がない、という認識です。その後明治維新を迎えて、神道関係者は国家公務員の扱いになり、国家神道へと再編されて軍国主義の道具として使われる運命を辿ります。その近代化の過程で、明治政府から通称巫女禁断令と呼ばれるものが出されて、神がかりの神事を完全否定するような、誤った認識が神道界に急速に広まってしまったのです。

神社に行くと、鈴を鳴らして頼みごとをしてからおみくじを引きますが、これは本来は、神がかりした巫女の口から、神様のお告げを頂く儀式を、略式化したものです。本来ならば巫女舞をして神降ろしを行なう必要があるのですが、国家神道へと再編していく乱暴な宗教改革によって、最も基本的で重要な部分を失ってしまった結果、今では本当に神がかり出来る技術を伝承している巫女が、ほとんどいなくなっているのです。「言い伝えによると、昔はうちの神社でも、巫女が神がかりすると託宣が降りることがあったようですが、今では形だけのものになっています」といったことを語る神職が非常に多いのが現状です。宗教は精神文化です。伝承してきた最も重要なものは、心に作用する技術です。鍵となる、催眠暗示の技法が失われてしまったら、実質的な力を失います。今日の神社の多くは、代々受け継いできた精神文化的な資産をほとんど失伝した、危機的状況にあるのですが、ほとんどの人がことの重大さに気付いていません。各地に伝わる伝統的なお祭りを、文化遺産として形だけ引き継いでいくだけでは不十分です。

神様は架空の存在だから、実用性などない、という認識が広まって定着したのは、時代の流れでしょう。「逆らってもどうなるものでもない。祖先から伝えられてきたものを、私達がしっかり受け継いで後世に伝えていけばそれで良い」というのがお爺様達の考えです。でも、もう一つの選択肢もあります。今巷はヒーリングブームですよね。ストレス社会のなかで、心の癒しを求めている人々が大勢います。癒したいけど、自分の深層心理は目に見えず触ることが出来ないから、メンテナンスすることが不可能だと思い込んでいます。でも、昨日も書いたように、深層心理を擬人化した化身を用いれば、今まで知ることも触ることもできなかった、心の深い領域とコミュニケーションを取って、メンテナンスしていくことが可能になります。火事場パワーを発揮したり、生体電位を調整して自然治癒力を引き出すことだって、出来るようになるでしょう。昨日、妖精の姿をしたバラの花の女神マリーベルを活用している例を紹介しました。そこから分かるように、なにも古臭い神道系の八百万の神々をイメージする必要はありません。もっと現代的な、マンガやアニメのキャラを深層心理とリンクさせても、同じような心理的効果が得られます。古臭いカビが生えたイメージは捨ててしまっても問題ないのです。つまり、従来の宗教という概念から脱皮して、21世紀にふさわしい、ユングの心理学をベースとした、心のメンテナンスを行なう精神文化を創ることも可能だと思います。

え? 私に創れって? うーん、だってほらいろいろと忙しいでしょ。それに私は赤ちゃんのときから、神様が宿る特別な子として育てられています。だから、すっかり宗教臭さが身に付いてしまっていて、人前に出るのはちょっと・・・。神道は畏れの文化を持っていて、その真ん中で育てられた私は、本能的に人や動物を怖がらせてしまう雰囲気を備えているのです。だから、ヒーリング系の活動は不向きです。というわけで、誰かやる気がある人はいないかなーと思っています。もちろん、新興宗教で一儲けしようなんて考えてる人は駄目。どちらかというと、カウンセラーやセラピストや心理学者のグループのほうが適任でしょうね。

え? すでにメタバースのオープンシムで研究グループが活動してるだろうって?w たしかにやってますが、専門的になりすぎてしまって、一般の人が勉強する目的で参加できる余地はありません。私も理事をやっている私立の学園に、この方面の授業をするクラスを設けてもよさそうなのですが、父兄はもちろん、文部科学省の頭が固いお役人達がどういう反応をするか疑問ですよね。私が書いた学術論文を「題名以外読めないので、読める言葉で書いてください」と言って突き返した人もいるほどです。発展させすぎたために、学問を進める方法や学術用語が、完全に隔絶しちゃって互換性がないのです。つまり翻訳不能の世界です。それでも、オープンシム用のプログラムは、普通のプログラマーさん達に作ってもらってて、意図が分からないと言われたことは一度もないんですよね。どうすれば壁が取り払えるのか、正直私には分かりません。

追記。(2010-10-14)

「深層心理と連動する、実用性を備えたキャラクターをマンガに描きたい」というメールを頂きました。現代のマンガ文化は非常に発達しているので、名作と言われるような作品は、すでに漫画家の深層心理とリンクしています。だから、キャラクターが勝手に(自分の意思で)動いて、ストーリーが紡がれていく、と語る漫画家さんもいます。夜夢を見るときのことを考えてみれば分かりますが、夢の中に登場する人物は、夢を見ている本人があれこれ考えなくても、独立した人格と自分の意思を持って勝手に行動してますよね。それと同じことが、マンガのネームを考えているときにも起こるのです。「どうやったらそんな心理状態になれるんですか」と神社まで訪ねて来た勉強熱心な方がおられますが、耀姫は「自分は夢が描けると信じなさい」と告げました。この託宣を聴いた日から、キャラが勝手に動くようになって、ネームに困らなくなったそうです。つまり、要は思い込みなのです。もちろん、イメージトレーニングの方法もいろいろあるので、また機会があれば紹介してみようと思っています。