ミラーニューロンとエンパシーとアスペルガー症候群の関係

 先日私は、『アスペルガー症候群の勘違いと、深層心理の教育の関係』http://d.hatena.ne.jp/mayumi_charron/20100124/1264296530のなかで、アスペルガー症候群の診断基準が曖昧で、脳の神経回路網の発達不良は、脳の先天的な機能障害が原因とは限らないことを書きました。これに対して、以下のようなメールを頂きました。

 私が例として掲げた10歳になってもお箸をうまく持てない子や、絵を書くモードをうまく切り替えられない大人は、ミラーニューロンがうまく働かないため、模倣能力が不十分なのではないか、というものです。ミラーニューロンと関連した先天的な脳の機能障害を抱えた人には、発達障害が現れるのではないか、というわけです。

 自閉症の人の脳のミラーニューロンが存在する領域は、解剖学的に観察しても分かる差異が認められることから、ミラーニューロンの働きと自閉症の間には密接な関係があることが示唆されています。もちろん、アスペルガー症候群との深い関係も関係を示唆する報告もたくさんあります。


 ミラーニューロンについて簡単に説明すると、自分の体を動かしたときにも、他人が体を動かすのを見たり感じたときにも、まったく同じように脳の中で活動する神経細胞のことです。他人が体を動かすのを見て、自分が体を動かしているかのように感じる。これが他人との共感、エンパシー現象だと考えている研究者が多いようです。たしかに、ミラーニューロンの働きが優れている人は、一度他人が体を動かすのを見ただけで、踊りや体操や武術の型を覚えて、まったく同じ動きが再現できます。しかし、綾取りの遊びをしてみれば分かることですが、一度見ただけで同じ形を再現できるところまで、高度な指使いの模倣能力を、生まれたときから備えている人はいません。生後、どのような遊びを経験しながら育ったか、学習内容によって結果がまるで違ってくるのです。

 うちは幾つかの神社を管理する古い家柄なので、私は物心ついたときには、すでに周囲の大人達を見ながら、神楽の舞の真似をしていました。指の動きを模倣して習得する訓練が重視され、大人達は時間があれば子供に、お手玉や綾取りの遊び、微塵(ボーラ)や分銅鎖や討ち根の使い方、ワイヤートラップの扱い方などを教えます。昔は猟師が動物用のトラップを森の中に仕掛けていたので、子供にトラップの知識を持たせて、絶えず注意を払いながら遊ぶ習慣を身に付けさせる必要があったようです。今でも私の生家の周りの重要な場所には、泥棒除けのトラップが仕掛けてあって、不注意に歩くと頭からペイントを被って、犬に追い回されることになります。

 合気道の元となった、殿中で暴漢を素手で取り押さえる作法として伝わっている、手乞い(てごい)や失脚(しっきゃく)といった古武術の体系も、物心つく前から自衛手段として学ばされます。といっても、神様が宿る依り代となる子は生き神様同然の扱いなので、技をかけることなど誰も許されていません。受身などは、見て感じて習得するイメージトレーニングで、学ぶしかないのです。実際に技をかけてもらえる他の子達と、習得速度に大差がつくように思う人もいるでしょうが、その逆になります。外家の子は、子供同士でじゃれ合うことが許されていますが、内家の子は大人相手にしか技をかけることを許されません。内家の子を一般の子と一緒に遊ばせると、能力差がありすぎて事故が発生するので、物心がついて判断できるようになるまでは、一緒に育てないように配慮されるほど危険視されるのです。特に私は、西洋の血が1/4入って雑種化しているので、純血種よりも腕力が強くて能力が高く、特別扱いにくい危ない子だったようです。


 こんなことがありました。幼稚園でスイカ割をして遊ぶことになったのですが、どういうわけか、先生は洗っていない外皮がついたままの、虫食い穴がある木の棒を手にしていました。そんなものでスイカを叩き割ったら、中から虫の糞が飛び出してきて汚いと感じた私は、先生と言い合いすることを避ける形で先手を打ちました。自分達が食べるスイカを親戚の子に持たせておいて、足の踵を振り下ろす技でスイカの表面に亀裂を入れようとしたのです。外側にヒビさえ入れば、あとは手で割って綺麗に食べられます。片方の靴を脱いで、はしゃいで飛び上がって大技に入る絶妙のタイミングで、私の不自然な行動を察知した先生は、こともあろうにスイカを持たせた男の子の名前を呼んでしまいました。私に声をかけても、止めないばかりか、予想もしないとんでもない屁理屈(この場合は、虫食い跡のある木の枝でスイカ割りをすると、虫の糞が虫食いの穴から飛び出して、スイカが糞で汚染されてしまう可能性)をつぎつぎに口にして、まったく言うことを聞かず、手に負えないことをよく知っていた先生は、静止できそうな親戚の子のほうに声をかけたのです。その子が体を前に傾けながら斜めに後ろを振り返る動きをしたため、胸の前に抱えたスイカと頭の位置が入れ替わる形になりました。私の踵は高い位置にある頭に、振り下ろす動きを緩めることなく、手加減なしで当たってしまいました。病院に運ばれたその子の頭蓋骨にはヒビガ入っていて、もう少しで頭蓋骨が陥没して死ぬところだったそうです。内家の子同士だったら、軽く頭を蹴った程度で頭の骨が折れて入院なんて、考えられない事故ですが、その子は外家に回された子で、危険を察知する能力や身体強度がかなり足りなかったようです。絶妙のタイミングで声をかけて、死亡事故が発生してもおかしくない危険な状況を作ってしまった先生は、学園の理事をしている親戚に呼ばれました。子供達が何をしようとしているか、状況を見て把握するエンパシー能力の不足を理由に、解雇されました。

 このようなケースを観察すると、症候群と診断されないレベルでも、エンパシー能力には、遺伝的な個体差が、かなりあることが分かります。内家の子なら、幼稚園生にもなれば、体がどう動くか完全に予想がつくので、先生に呼ばれても、反射的に振り向いて、自分の頭が的になるような姿勢を取ることは絶対にしません。同僚の先生が外家の男の子をかばうつもりで、次のような推理を持ち出しました。「その男の子は、スカートの中身が見えてしまうことを考えているときに、先生に声をかけられたので、悪いことをしているところを見つかった子供がドキっとするように、思わず反射的に振り向いてしまったのだ」と。直接私の行動を批判できない空気なので、暗に、私がミニスカートを履いた状態で羽目を外して、足技を使ったことを非難する内容で来たのです。これを聞いて、物分りの悪さに腹を立てた母は、私のミニスカートをめくって、タックスパンツ形状のペティコートを見せて反論しました。ミニスカートに適度なふくらみをつけたり、汗をかいた時の冷却がスムーズになることを目的に、たくさんのレースのヒダが設けられています。さらにポケットが内蔵された複雑な形状になっていて、その下に着ている、筋肉や関節を保護して身体機能を高める働きをする、ボディースーツの形が見分けられる構造にはなっていません。もちろん、さらにその下の下着が見えるわけがありません。たとえボディスーツを脱いだ状態を見たとしても、フレアパンティはレースの飾りが付いたスパッツを履いているようにしか見えず、女性の下着を見たという認識が生まれることはありません。つまり、ミニスカートを履いている状態で足技を使ったことを非難されるような、隙のある服装ではなかったのです。外家の男の子は、私が和装に着替えるときに、何度か着付けを手伝ったことがあるので、スカートの下の構造を知っているし、親戚の道場でプロテクターを着た状態で私の足技を受け慣れていました。あの状況でエッチなことを考えたりはしません。母が最後に「先生のほうが、幼い女の子を対象に、エッチな想像をなさっているのでは? この子はそんなことを考える年齢ではありませんよ」と、外家の男の子を庇う姿勢を取りながら嗜めたので、先生は閉口しました。こうして、事故原因は、問題の先生と外家の男の子のエンパシー能力と危険予知能力の不足にあると判断されました。

 じつは、エンパシー能力は、第一印象で分かります。能力が低ければそもそも雇わなければいいわけで、解雇理由にはなりません。本当の理由は、私が昆虫の糞の存在を率直に先生に向かって指摘できないような、対話が困難な心理関係を作ってしまった点にあったでしょう。私の意に逆らう形で、昆虫の糞がトッピングされたスイカを子供達に食べさせる事態になっては絶対に困るし、私の意に逆らう形で、死亡事故が発生する状況を招かれることも、二度と許されないという判断です。スイカを足蹴にしようとした私の足癖の悪さについては、上に書いたように、遠回しに批判した人が一人いただけで、誰も正面から言及できませんでした。ただ、お婆様は、女の子らしい振る舞いについて学べる機会を増やすように、私の教育カリキュラム編成の一部を変更したようです。親戚がやっている古武術の道場に所属する女性が、代わりの先生としてやってきました。前を向いて座ると、まったく体を動かさない物静かな私が、ちょっと視線を動かしたがけで、その先を追って、何を考えているのか察してくれるような人だったので、幼稚園の居心地が良くなったのは言うまでもありません。


 古武術を習得している私達は、目で見なくても、足音を聞いただけで、足捌きに使われている筋肉の状態がイメージできます。その足の動きから、上半身の状態もある程度予想してイメージできるので、足音を聞けば、何をしようとしているか、見なくてもおおよそ分かります。それだけでなく、音が聞こえない状態でも、壁の向こうにいる人の動きがはっきり分かることがあります。時代劇でこっそり屋根裏に忍者が潜んでいることがありますが、うちの家の屋根裏に入ったら、音などさせなくてもたちどころに分かってしまいます。ねずみと人の気配は明らかに違うので、混同することはありません。気配を察しているときには、ミラーニューロンが作動している可能性が高いことが確認されているので、視覚・聴覚を遮断された状態で相手の気配が感じられるのは、錯覚ではありません。おそらく、生体磁気などが生み出す電磁場による無意識レベルの情報伝達が存在するのだろうと考えられています。

 一般的な現代人は、ほとんど視覚に頼る情報収集や判断ばかりしているので、ミラーニューロンも、視覚刺激によく反応するように発達しています。しかし、私達の場合は、音でも反応するし、壁の向こうにいる人の気配でも反応します。ミラーニューロンの働きはエンパシーにとって非常に重要ですが、現代人は訓練する体系的なノウハウを、社会的慣習として持っていません。赤ちゃんが親の表情を真似するのを見て親が感動して、共感を伴ったあやし方をする程度で終わっているようです。

 箸の使い方、綾取りのやり方などを、エンパシー能力を発揮して学習するには、ただ人がやっているのを見るだけでは駄目です。集中力が非常に重要な鍵になります。集中力の発揮のしかたを、感覚として学ばせていない子供は、人がやっていることをみても、うまく模倣することが出来ません。この点を理解しないで、10歳になってもお箸が使えないからアスペルガー症候群だとか、ミラーニューロンの先天的な機能障害などと、もっともらしい言葉を持ち出して分かったように言及するのは問題だと思います。じつは、猫などの狩をする動物は、狩のコツを親から学習するために、特別なエンパシー能力と、脳のモードを備えています。猫は、犬のように命令を聞く本能を持たない動物ですが、時々じーっと、人間がすることを観察していることがあります。そのあと、ドアの開閉のしかたを知らなかった猫が、突然、ドアのレバーに手をかけて開けることができるようになったりします。エンパシー能力を発揮させる学習には集中力が必要なので、身動ぎもせずに人がやることをじっと見つめているのです。もちろん、人と猫では体の形や筋肉の付き方がが違うので、完全なシンクロは不可能ですが、頭のいい猫はうまくイメージを繋いで、人間の行動をコピーするようです。うちの猫は、パソコン画面を前足でタッチして、ほしい缶詰を指定したり、何かあると、私達の姿のアイコンにタッチして、電話をかけることも出来ます。

 猫でも知っている集中力の発揮方法を人間は知らないから、ミラーニューロンの機能を十分に使いこなせていない人は多いようです。集中力を発揮する方法を学ばせるには、周囲の大人が、息を凝らして、針の穴に糸を通すような難しいことを、子供の目の前でやって見せてあげるしかありません。そういった教育を何もしないでおいて、この子が箸の使い方を覚えられないのは、先天的な脳の機能障害を抱えているから、と言ったところで、物事の道理が分かってないのはどちらなのか、疑問があります。子供の教育を何もかも学校に任せにしておくと、こういった部分に盲点が生じて、発達障害同様の問題が生じます。本当は、『リニアとスパイラル 西洋型と東洋型の思考様式の違い』http://d.hatena.ne.jp/mayumi_charron/20100125/1264413658の中で、さまざまな見地を擬人化した、カード型データベースとして紹介したように、体系的な多様なものの見方を、子供のうちから教えてあげたほうがいいのです。、親切な行動、意地悪な行動、良い行動、悪い行動など、さまざまなものの見方があることを教えておかないと、どのモードを使って相手が考えて自分に接しているのか見当がつかない、他人の考えが理解できない人が出来上がってしまいます。よく、御伽噺は残酷だとか、悪い考え方が示されていることが問題になって、子供に読ませるのに適切ではないと指摘する人がいますが、唯一の理想的なものだけを選択していくと、一面的なものの見方しかできない、物分りが凄く悪い人に育て上げてしまうことになります。心の中のさまざまな深層心理を体系的に学習させられるように、データベース化しておくことは、とても大切なのです。「陰陽師の使う式神は迷信」なんて言っていると、伝統的な優れた人格形成の体系を学ぶ機会を失ったままになります。もちろん、古い時代の発想のままでは、現代社会に適応できないので、式神なんて呼ばずに、ポケモンのようなキャラクターとして子供達に教えてますけどね。さまざまなキャラクターが登場する即席の御伽噺のベースは、伝承されてきた式神の体系なので、子供達が大人になって古い文献を当たれば、オリジナルの姿が分かるようにしてあります。

 エンパシー能力やミラーニューロンと、非常に重要な関係にあるのが、物真似やままごと遊びです。また、音楽を伴う踊りは、エンパシー能力を高めるうえで、非常に重要な働きを持っている文化です。エンパシー能力が低い子でも、一緒に遊ぶだけで簡単に能力が身に付いてくることがあります。私は8人の自分の遺伝子を受け継ぐ子供を育てていることを『アスペルガー症候群の勘違いと、深層心理の教育の関係』で書きましたが、私が育てられたような能力の高い遊び友達の集団の中で教育を受けさせることが難しいケースもあります。周囲の遊び友達の能力を引き上げるように、私が一緒に遊んであげるのも、子育ての内と思っています。