また猿騒動。雅な国風文化の中で育まれた領布(ひれ)を用いる印地撃ちの技術を復活させるときかも?

 先日から、いくつか猿をめぐる話題が目につきます。猿は人間に近い種ですが、それ故に敵対関係になりやすい動物でもあるようです。今回は、猿などの動物の脅威に対処する伝統的な自衛手段について書いてみます。

『サル捕獲作戦スタート 宮島 農作物被害相次ぎ』(2010年1月30日 読売新聞)http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hiroshima/news/20100129-OYT8T01477.htm
 宮島の猿の害に頭を悩ませてきた人間は、ついに宮島からの猿の追放を決意したようです。受け入れ先となった日本モンキーセンターでは「宮島の猿がさらに増えれば、餌を狙って人に危害を加え、駆除せざるを得なくなる可能性もあった。今のうちにセンターに移送するのが最善の策だ」と説明しているようです。猿が人間を恐れなくなって、農作物を荒らしたり、ときには襲い掛かってくるケースが、近年増えてきていると感じます。

 下の記事は、体長約40センチのニホンザルが、神出鬼没のゲリラ活動を市街地で展開して、8歳の女児や35歳の女性に噛み付いて怪我を負わせて回った、通り魔的犯行を伝えたものです。
『相次ぐサル被害「近づかず、目を合わせないで」』(2010年1月23日 読売新聞)http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100123-OYT1T00078.htm
猿は、目を合わせると自分が標的にされていると感じ取って、恐怖心を拭って自分の身を守ろうと攻撃してきます。人間が歯を剥き出しにして楽しそうに笑う姿を見ると、猿は人に飼われている特殊なケースを除いて、基本的に笑う感情が理解できないため、人間が自分に噛み付く意思表示をしていると思い込んで、身を守るための攻撃行動を取ります。動物は、身の危険を感じて自衛行動に出る距離を持っています。その距離まで接近しなければ、攻撃してこないことが多いので、ある程度離れた位置から何気ないそぶりでチラチラ見る程度に留めるのが安全な場合が多いのです。


 猿が人を襲う御伽噺は、あまり残っていません。ということは、昔は猿と人の棲み分けがきちんと出来ていて、人里に下りてきて人を襲う騒ぎを起こすようなことは少なかったのでしょう。昔の男の子達は、石を投げる遊びを覚えるのが一般的だったので、猿の群れは人を恐れて接近できなかったのかもしれません。今でも雪合戦の風習は残っていますが、昔は石合戦(向かい飛礫)と呼ばれる危険な遊びが、5月5日の行事として盛んに行われていました。織田信長が少年時代に石合戦を好んで行った逸話なども残っています。怪我人が出るので禁止されていき、今では子供達に人気のドッジボールの姿に変わってますよね。それでも日本人は、お互いに物を投げ合うのが好きなようです。

 今ではほとんど伝承している人はいませんが、合戦や喧嘩で石を投げて殺傷する技術は、印地(いんじ)と呼ばれていました。投石器(スリング)を用いる印地は、弓矢よりも飛距離があって、鎧の上からでも十分ダメージを負わせることができたので、鉄砲伝来までは合戦で盛んに使われていたようです。飛び道具の威力を知らなかったため、騎馬で織田・徳川連合軍の鉄砲隊に向かって突撃して敗れ去ったとされる武田家などでも、じつは兵が斬り合う状態になる前に、印地撃ちによる遠戦を行っていたことが分かっています。後世の人が、中途半端な知識をもとに作文した情報が混入して、史実が不透明になっていると感じます。戦死者を葬った集団墓地を調べてみると、投石によって死亡したことが確認できる人骨が、かなりの割合で見つかるケースもあるようなのです。

 うちの一族の男衆は修験道を伝承していますが、修行と称して日本だけでなく海外の山々も広く渡り歩いて情報を集めてきたようです。今も薪割りに使っている磨製石器のヒスイの斧は、西アジア産だということが判明しています。いつの時代に、どこで御先祖様がこんなのもを手に入れて、日本まで持って来たのか不思議です。故老からの伝承によると、元寇の時代に大陸に足を運んで、元の動向を探っていた頃の昔話や記録が残っています。シルクロードの向こうからやってきた人々と接触を持っていたようです。忍者のような活動をしてきた歴史を持つので、男衆は数多くの身を守る術を伝承しています。そのなかには、一見すると武器には見えない、日本手ぬぐいなどの布に石を引っ掛けて投げつける、殺傷力の高い印地の技術も含まれています。


 身に付けた布を用いて投石する印地(いんじ)の技術は、男衆だけのものではなくて、一族では女性も護身術の一つとして、幼少時から習得することになっています。古い時代の高貴な女性達の姿を描いた絵を見ると、天女の羽衣のような領布(ひれ ストール)を身にまとうファッションが流行していた時代があったことが分かります。古事記には、天日矛を信仰する一族が、浪振る領布や浪切る領布といったものを、宝物として日本に持ってきたことが記されています。「領布は呪力を持つ布とされ、害虫を追い払い、護身と装飾を兼ねた大切なもの」といった認識が、領布が流行していた古い時代には一般的だったようです。たしかにショールは、森の中を歩いていると頭の上から降ってくるヒルや、スズメバチの攻撃を避けたり、蚊などの虫が嫌う香りをつけて肌の露出部分を守るのに使えば快適に生活できる、とても便利なアイテムです。でも、それだけでは、「護身と装飾を兼ねたアイテム」とまでは言いませんよね。じつは昔の女性は、子供の頃から鞠やお手玉や綾取りで遊んで運動神経を養い、領布を用いて印地を撃って身を守る術を学ぶ慣習があったのです。お屋敷で雅な生活をおくるお姫様達が、優雅に天の羽衣を身にまとって風にたなびかせているイメージからは、想像がつかないかもしれませんが、「護身と装飾を兼ねた印地撃ち用アイテム」のファッションの流行は、狼藉者にとってかなりの脅威だったに違いありません。流血を避ける必要のある殿中では、石の代わりにお手玉(小豆などを入れた袋)を錘として用いて、領布を曲者に絡めて手早く安全に遠隔捕縛する技術などが、非常に重要な意味を持っていたようです。たとえ狼藉を働く者に武術の心得があって武器を携帯していても、体の自由を奪われてしまえば、何も出来ません。

 一族の女性は今でも、印地の技が使えるように、洋装ではショールやストール、平安装束のときには領布を身に着ける習慣を持っています。私は中学・高校と風紀委員をしていました。中学校の校舎の塀一つ反対側は高校の校舎だったため、高校生のカツアゲグループが中学校の校舎に侵入してくることがあって、何度か大立ち回りを経験しています。お手玉を引っ掛けて振り回すストールは、流星錘に似た動きをさせることも出来るので、相手の体に絡めて遠隔捕縛するときに非常に役立ちます。カツアゲグループは、必死で対抗しようと、木刀や自転車のチェーンやナイフやパチンコやボウガンまで持ち出してきましたが、子供の頃から綾取りで遊んで、捕縛術の体系を習得している私と、真正面から絡め技を掛け合うのはあまりにも分が悪すぎたようです。絡め技は手数が同じなら体の柔軟性が高い女性のほうが圧倒的に有利です。自転車のチェーンでは重すぎて、ボーラやストールの軽い動きについていくのは絶対に無理です。また、私めがけて飛び道具を使おうとしても、射撃の気配や音で、どこに飛んでくるか分かってしまうので、回避するのは容易なのです。脳のリミッターを外すと、思考速度や反射神経が飛躍的に高まるので、飛んでくるボウガンの矢やパチンコの玉に、お手玉を当てて叩き落すことも可能です。かなり離れた位置から狙撃されても、発射する瞬間の筋肉の動きが感じ取れるので、タイミングを見誤ることはまずありません。鍛え上げた肉体を持つ男性は、パワー・ウエイト・レシオ(瞬発力)が私を上回る可能性もありますが、どんなに空手やボクシングが強くて腕力があるつもりでも、布やワイヤーが絡まって体の自由が利かなければ、なんの意味もありません。

 私は、領布を用いた印地の技のほかに、ボーラと呼ばれる投擲狩猟アイテムも用います。ボーラは、石やゴムや新素材の錘を皮などで包んで紐で連ねたものです。アメリカンクラッカーの形状で、錘が3つ5つと増えたものと考えると分かりやすいでしょうか。私はフィールドワークで鳥や鹿や猿などを捕獲するときに、日常的に使っています。麻酔銃などを使うと大きな音で野生の生き物を驚かせて追い払ってしまうので、生態観察の妨げになります。ボーラならそのような問題は起こらないのです。ボーラから発展した忍者の隠し武器が微塵(みじん)と呼ばれるものです。材質が分銅鎖になります。男衆が諜報活動を行うときに、護身用として使っていたので、さまざまな実践的な技が今も伝承されています。微塵は殺人用の武器で、当たると骨が微塵に砕けるところから名前が付けられています。頭に命中すればどれほど危険かは、誰にでも分かりますよね。古武術用の安価な微塵が市販されているようですが、人に向かって振り回しただけで、状況によっては殺人未遂の容疑をかけられる可能性もあるでしょう。私が主に動物を捕獲して生態観察を行う目的で愛用しているボーラは、錘がダメージを与えないように、柔らかい素材のものを使っています。最新のものは、飛行するときに錘部分が変形して空気抵抗が少なくなって揚力を発生する仕組みになっています。また、目標地点の手前まで筍の皮に包まれたカートリッジの状態のまま飛行してから、鯨のヒゲの力で展開して回転するタイプのものは、林の中などに身を隠したまま発射することもできるようになってきています。

 短い振り杖の中に、ボーラを筍の皮で包んでカートリッジ状にしたものを何個かセットしておいて、振ると次々に飛び出して鯨のヒゲで展開するカラクリ仕掛けになったものが一番便利です。私達にカツアゲの犯行現場を見つかって逃げようとしても、ボーラの連射であっけなく体の自由を奪われて身柄を確保されることを悟った高校生達は、一ヶ月経たないうちに中学の校舎にやってこなくなりました。警備員に引き渡した高校生達に向かって、校長室に集まった学園の理事達が、「中学校の敷地に職員の許可なく無断で立ち入った高校生は、不法侵入とみなす」と言い切ったのも効果的だったようです。それよりも、「中一の女子にいいように捕縛されてしまっては恥ずかしすぎる」という判断が働いたようです。私が入学した年度から、風紀委員は全員親戚の道場に通って手乞いや失脚といった古武術の技を習得した子で構成されるようになったので、総力戦になれば彼等に勝ち目はない状況でした。ただし、お爺様は深い考えをお持ちのようで、「彼等も同じ教育を受ける権利を持っているのだから、追い詰めてはいけない。悟れば自ずと更正できる」と、私達に釘を刺していました。


 何年か前になりますが、親戚の子達が夏休みに小学生20人ぐらいでキャンプをするというので、私も引率の手伝いをしたことがあります。たまたま野生のニホンザルの群れに出会ったのですが、人と距離を取ろうとしないで、一部の猿が接近してくるので、危ないと直感して、子供達を集めるために「集合」と声をかけました。ところが、言うことを聞かないで、珍しがって猿のほうに近付いて行った子がいて、ボスらしき猿に飛びかかられてしまいました。子供の荷物を狙っていたので、振り杖に仕込んだボーラを連射して捕獲しました。ニホンザルを無闇に捕獲するのは法律上も問題があるのですが、身の安全や財産の保護のほうが、野生動物の保護よりも優先します。

 捕まえた猿に絡みついたボーラを外すと、猿は私の手に噛み付こうと必死で暴れ回りました。でも、脳のリミッターを外した状態の私のほうが、反射神経ははるかに上です。手乞いの技を使って動きを止めて腕のツボを押すと、悲鳴を上げました。その声を聞いたニホンザルの群れは、いっせいに逃げていきました。手乞いというのは、現代の合気道の源流となった、古事記にも記されている古武術です。合気道と同じように「ちょっとお手を拝借」して、スマートに素手で狼藉者を倒したり拘束できることから、手乞いと呼ばれているのです。

 子供達を集めて猿を抱きながら、一通り解説しておきました。「野生のニホンザルのオスは、このように人を襲うことがあります。この猿は、人間が食べ物を持っていると思って、荷物を狙ってきました。野生動物に餌を与えると、人間を襲うと食べ物が手に入ることを学習してしまうので、絶対に危険な野生動物に餌を与えてはいけません。今私は合気道の技を使って素手で猿の動きを押さえ込んでいますが、このような小柄な猿でも握力は普通の人間より強いので、皆さんは絶対に真似をしてはいけません。人間よりも体が小さいので素早く動くことが出来るし、反射神経も普通の人間より優れているので、このように素手で掴もうとすると、簡単に噛みつかれて怪我をします。チンパンジーぐらいの大型の猿になると、一瞬でも油断すれば指の骨を折られたり、爪を剥がされたり、目を潰されたり、腕を食い千切られることがあるので、大変危険です。でも、猿は痛みに耐えるのがとても苦手なので、こうやって腕のツボを軽く押しただけで、簡単に降伏します。今、無理やり降伏のポーズを取らせています。こうして負けを認めさせてから許してやるという態度を示して解放すると、ほら、目をキョロキョロさせて戸惑って大人しくしてるでしょう。この状態でボスを群れに戻してやると、その群れは、懲りて二度と人を襲おうとしなくなります。」

 思わぬ形で、野生の猿の群れが餌付けされて人を襲うようになる問題に対処する方法を、実際に子供達に見せながら説明できる機会を得て、大きな収穫になりました。


 何万年か前までは、人類はチンパンジーなど、大型の猿の生息地域と密接な接点を持っていました。チンパンジーは、他の猿を捕獲して食べます。敵対するグループのチンパンジーを殺して食べることもある猛獣です。ときには人間の赤ちゃんも食料とみなされることがあります。現代でも、大人の男性がチンパンジーに襲われて、指の骨を折られ目を潰されて殺害される事件が、稀に起こっているようです。赤ちゃんが食べられることは、現代のアフリカでも起こりそうなので、人間が猿から身を守るノウハウを蓄積しておくことは、生きるうえで重要な課題の一つと思います。ボーラもスリング(印地)も、何万年も前にアフリカで発明されたアイテムのようなので、現代人が使わなくなったことのほうが不自然な気がします。

 ボーラの錘の部分が命中して割れると、中から腐ったチーズのような凄い悪臭を放つ液体が飛び出す、カラーボールになっているものを試作したことがあります。普通のカラーボールは、横方向に移動する対象に対して、命中させることが難しい問題を抱えているのですが、ボーラの形状のものは、横に広がって飛んでいくので、それだけ命中する確率がアップします。練習で使ったら、あまりの激臭に呼吸が乱れた人もいました。ストールに絡めて印地の技を用いて撃つ弾も、石を使うのは危険すぎるので、こうしたカラーボールがいいのではないかと思います。練習用の試作品を親戚の子供達に与えたら、面白がってサバイバルゲームに使って、凄い臭いをさせて家に帰ってきたことがありました。体を洗わずに家に上がってしまったので、お婆様は、臭いが家中に付着したと、頭から湯気を出して怒りまくっていました。一番可愛そうだったのは、嗅覚を麻痺させられた犬ですけどね。野犬対策にカラーボールはかなり有効と思います。おそらく、体を洗う習慣のない犬や猿は、カラーボールのチーズ臭を一度浴びたら、なかなか臭いが取れず、二度と人に近付かなくなるでしょう。食べ物の味の多くの部分は、匂いの情報が占めています。匂いが分からなくなると、安全な食べ物かどうかを判断することが出来なくなります。動物にとってかなり深刻な問題の筈です。視覚に頼って生活している人間よりも不自由することは、まず間違いありません。たとえ命中しなかったとしても、臭いバリアーがその場に展開すれば、攻撃されたときの記憶が蘇ってその場所に近付けなくなり、土地を守る臭いの結界として機能すれば、それで十分な場合もありそうです。

 子供達を猿や暴漢などから守るには、平安時代の国風文化の中で生まれた、領布(ひれ)を用いた印地の護身術を復活させるのが、一つの有効な手段ではないかと思います。ナイフで容易に切れない新素材を用いた、丈夫な生地で出来たシフォンのベールやストールはファッションにもなり、夏の熱い季節に蚊から顔や襟元を守ることが出来るのでとても便利です。いざというとき護身用にもなる雅な装飾アイテムとして、身に着けていて損はないでしょう。