生命情報の変化に対する認識不足とホメオパシーを巡る混乱について

                                             最終版(2010-10-17)

何度かホメオパシーを巡るトラブルの話題が浮上しているようなので、以前から気になっていたことを書いておきます。

日本学術会議が、「ホメオパシーには科学的根拠がなく荒唐無稽」と一刀両断したようです。この認識は、一面では正しくても、他の側面から見ると正しくありません。二百年前にドイツの医師ハーネマンが創始したホメオパシーは、当時の医学界から頭ごなしにニセ科学と弾じられたわけではなく、それなりの数の有識者が追随して、有効性を確認しようと努力を重ねていったようです。それは、当時の水準の科学的視点から見ると、ある程度の根拠があると受け取れる要素を持っていたからです。

「もともとは毒なのに病気に効く薬になるって、いったいどういう理屈なんですか?」という疑問に、当時のホメオパシーの考え方が、答えてくれると感じた人々もいた、ということのようです。現代の内科医でも、医薬品に対するこの素朴な疑問を子供達から向けられると、即答できない人がかなりの数います。じつは、毒が体に及ぼす影響を巡って、さまざまな考察が行なわれてきた経緯があり、現代の西洋医学は、意識せずともホメオパシーの知識を吸収して、その流れを汲んでいるのです。だから、下手にニセ科学呼ばわりしていると、人体にとって毒性のある多くの医薬品の使用を否定するような、変な話の展開になりかねません。

ただし、これとは別に、突然日本で大々的に展開されはじめた代替医療ホメオパシーは、ハーネマンが創始した当初のものとは中身がまったく違う、異質なものへと変質しているようです。こちらは、日本学術会議だけでなく、私も愛用の神剣で一刀両断したくなります。明らかに内部矛盾した理屈が並べられているので、真に受けてはいけません。

ハーネマンが創始し、西洋医学に取り込まれて、今も息づいているホメオパシーの考え方について、一般向けに解説してみましょう。自然治癒力が完全に機能している場合は、病気になる前に治ってしまうので、とうぜん症状が現れません。したがって、病気というのは、何らかの原因で自然治癒力が正常に働かなくなっているとか、病気を引き起こしている力に、自然治癒力が負けている状態と考えられます。もしも、体がバランスを失った結果病気になっていることに、病人の体が気付いていない場合は、病気を治そうとする機能が十分に働いていないことがあります。そうなると、症状が改善せずに、徐々に悪化していく経過を辿ります。病気の状態を健康体だと体が誤認している場合は、症状が停滞して慢性化することもあるでしょう。もしもこういったケースで、その症状を揺り動かす作用を持つ物質を摂取したらどうなるでしょうか? 症状が変化することによって、体が病気であることを察知できれば、体を治そうとするメカニズムにスイッチが入って、一斉に動き始めることが期待できます。これが、現代の医療に引き継がれている、本当の意味でのホメオパシーの原理です。もちろん、二百年前にハーネマンが唱えたものは、現代の科学的視点から見ると理屈がおかしい部分もあるので、それなりに修正を施されて形を変えてはいるのですが、先人達の知的財産を引き継いでいることは確かでしょう。

現時点のウィキペディアホメオパシーの記事には、「症状を動かす作用を持つ物質を体に入れる」という重要なポイントが、うまく解説されていません。つまり、ピンボケ状態の認識しか持っていない人が多いように感じられます。「同種の法則」とか、「ホメオパシーでは症状を抑圧するのではなく、症状を出し切れるように後押しします」という文章を載せているサイトがあるようですが、こんな説明では、誰も納得しないでしょう。たしかに、西洋医学は対症療法が中心になっていて、症状を押さえ込むだけで、病気を作り出している本当の原因を取り除く治療を施さないケースがあります。その結果、有病率を増加させて、保険医療制度に大きな負担をかけているようにも見えます。でも、そんな医療批判をする前に、まずホメオパシーはどのような発想で生まれてきたのか、現在の西洋医学の中で、どのような位置にあるのか、正しい理解へと導くことが先決でしょう。某サイトのあやふやな解説は、ホメオパシーの本質を多くの人々に知られたくないので、故意に曖昧にぼかしているようにも見えます。

たとえば、高速道路の緩やかな坂で自然渋滞が起こりそうな場合、運転手に向かって、「ここは、ちょっと上り坂になってるみたい。速度が落ちてきてますよ」と教えてあげれば、アクセルを踏むので状況は緩和されます。情報を与えて自覚を促すことで、問題が解消されるケースというのは、いろいろあるのです。本人が病気だと意識はしていても、体のほうはそのことを十分認識できていない状態など、実際には幾つかのパターンや段階が存在します。ホメオパシーでは、症状を動かす効果を持った化学物質を投与するので、どうしても人々の視線は、物質そのものの効果(薬効)に集まってしまいます。これは、着眼点が完全に間違っています。期待されているのは、「自分が病気だと体が悟る」情報の変化なのです。この部分で焦点がズレているから、ホメオパシーの効果についていくら研究しても、結果が判然としないのです。挙句の果てが、「ホメオパシーには、プラシーボ(擬似薬の暗示)効果しかない」から「ホメオパシーには科学的根拠がない」という事実誤認が生じるわけです。純粋に、病気だと悟らせる生命情報の変化のみを狙った投薬の場合には(注意.実際には、薬効があるものを用いようとするので、このようなケースはまずありえませんね。あくまでも仮の話です)、プラシーボ(暗示)効果による変化と等価の結果しか期待できないことを失念して、ホメオパシーは効果がないと判断するようでは、見識不足から致命的な錯誤を犯していると指摘されても仕方がないでしょう。やがてハーネマン自身も陥っていったさまざまな混乱の元凶は、この一点の認識の間違いにあったようです。

「病気が癖になって慢性化した患者には、症状を揺り動かす刺激を与えればよい。同じ症状を引き起こす物質を探してきて投与すれば、体のほうが病気だと気付いて、慢性化していた病状に変化が生まれる」というのが、本当のホメオパシーの原理です。しかし、この方法は、あまり好ましいものではありませんよね。内臓が悪い人に、症状を自覚させるようと思ったら、ホメオパシーの発想では、内臓に対して毒として働く物質を投与する必要があります。その点、東洋医学の世界では、まったく異なるもっと安全な方法がとられてきました。内臓に対応する手や足のツボを押すといったものです。その刺激で、「あ、痛い。このツボに対応する臓器の具合が悪いみたいだから、治さなくては」という情報(自覚)が体の中に生まれれば、目的を達したことになります。わざわざ体に悪い物質を入れて症状を動かす必要はないのです。ただし、ツボへの刺激、つまり情報の入力だけで、全ての病気が治るはずがないのも、また現実でしょう。生命情報(自覚)の操作は、あくまでも本格的な医療の補助程度に考えておいたほうがいいのです。

ホメオパシーが創始されてから少し経った頃、体に毒を入れるのは問題があるという観点から、毒性を薄めて用いる考え方が生まれたようです。二百年前は、どの程度薄めれば、薬効はあっても副作用が出ないか、見極めるノウハウがなかったらしく、きょくたんに薄めたものを投与して、効果を試そうとする人々も現れました。濃いまま与えるのが良いとする人々と、意見が二つに分かれたことから最初の混乱が生じたようです。あまりにも薄めすぎたものは、まったく症状を動かすことができません。したがって、擬似薬を用いた暗示を与える効果しか現れるはずがない、と考えるのが常識的ですよね。ところが、現在日本で展開されている代替医療ホメオパシーを広める活動では、物質は波動を持っていて、薄めても波動が転写されてその記憶が保持されていくから効果に問題はない、という不自然な珍説を強引に接木して、ホメオパシーの内容を大きく変質させています。もしも、本当に波動が伝わって転写されて効果を発揮するのなら、毒性があるものを無理に体内に摂取する必要はなく、身近に置くだけでも伝播する筈です。実際に、気功などは離れていても伝わるのですから。波なのに、口に入れないと体に伝わらない、なんて理屈を持ち出せば、その時点でアウトでしょう。伝播する性質を持つ波動など、じつは存在していないことを意味するからです。つまり、現在日本で流通している波動ホメオパシーという珍説は、検証うんぬん以前に、内部に論理的矛盾を抱えて破綻していることが明らかなのです。頑固で自説を曲げないことで有名だった創始者ハーネマンが、こんな変質した珍説の出現を知ったら、たぶん怒るでしょう。現在の日本で流通している波動ホメオパシーは、二百年前にドイツの医師ハーネマンが創始した当時の、有効性があるとされたものとは、内容がかけ離れてしまっているようです。

日本学術会議が、「ホメオパシーには科学的根拠がなく荒唐無稽」と一刀両断したのは、現在の状況からみて当然のことだと思います。たとえば、ツボを刺激すると、痛いと感じるから、体の反応が起こります。気功の場合も、気の作用を感じて、効果が現れます。ほとんど何も作用がないのに、症状だけ消えるなんてことはまずありません。もちろん、無意識のうちに自然に治ってしまうことはあるので、本人に自覚がない場合はあるでしょう。それでも、体の反応を細かく調べてみると、必ず刺激の作用があったことが分かるものです。最近日本で出回っているレメディは、薄めすぎているため何の毒性もないと説明され、プラシーボ(擬似薬の暗示)効果しか持っていないことが、研究論文として発表されています。じつは、ホメオパシーの正当性を主張する側の人々の一部も、プラシーボ効果を認めはじめていて、前面に押し出して強調する動きを見せるようになってきました。つまり、ニセ科学と批判する側と、奇しくも見解の一致をみるような、新たな混乱が生じています。これまでの考察から分かることですが、「体の中の情報の変化を求める場合には、濃いものを用いて、その化学的な作用で体が反応する場合も、薄すぎるものを用いて心理的な暗示効果しか働かない場合も、ともにプラシーボ効果と等価の結果しか表面的には期待できない」のです。そのため、免疫系などに指令を出している脳の部位の活動など、体の内部で動いている生命情報の変化を詳細に観察しないことには、両者の違いを判別することはできないでしょう。この重要なポイントがハーネマン自身理解できていなかったようです。そのため、「物質的でなくなる」ところまで限りなく希釈しても効果がある、という誤った認識を持つに至ったようです。そうなった理由はおそらくこうでしょう。もともと、濃くても薄くても結果に差が出ないのですから、毒性を減らしたいと望めば、薄いほど良いことになります。さらに、薄めれば薄めるほど副作用が出ないから、それだけ良い結果が得られたと錯覚する状況も生まれるわけです。ハーネマンの主張の変化に怪しさを感じ取って同調出来なかった人々もいたようです。その結果、あまり希釈しないで用いる「原理派」と極限まで希釈する「低効能派」に分裂してしまったようです。この二つが、まるで内容の異なる現象だということは、上で触れました。このポイントをきちんと押えられずに混乱しているケースが、かなり目立つようです。変質した現代の波動ホメオパシーを信じている人々に向かって、いくら非科学的と指摘しても、説得に応じないケースがあるのは、現にプラシーボ効果程度の改善が現れて、それが体感できているからでしょう。ニセ科学と批判する側も、本質を見誤って錯誤に陥らないように注意しながら、うまく説得しなくてはなりません。

私は生命情報学(バイオ・インフォマティクス)の方面が専門ですが、社家(神社)の娘です。人の体が病気を治そうとする力がうまく働いているかどうか、見ただけである程度分かります。といっても、これは霊能ではありません。人体の気の流れが感覚的に察知できるメカニズムは、脳のどのような部位が使われているか磁気センサーを用いて脳磁図を描き出すことで分かってきたので、ある程度めぼしがついています。はっきり書くと、気は実在するものではなくて、抽象的な概念です。その正体として、エントロピーやネゲントロピーといった物理学畑の概念を持ち出して、数式で表現しようと試みる人もいますが、まだまだ課題が残っています。2010年10月8日に私がブログに書いた、「直接意識できないものをイメージ化して思考対象にする技術」とも深く関わってくるテーマなので、突っ込んだ解説はまたの機会に譲ります。

症状をうまく自覚できないため、体が病気を治そうとしていないと感じる人をみかけたら、伝承されてきた手かざしの技法を用いて刺激を与えてあげることがあります。日本の神道は主に高句麗道教の流れを汲んでいるので、道教の内丹術から派生した民間療法が伝承されているのです。中国の気功は比較的新しい言葉で、内丹術なども指しているため、中国の気功と神道の手かざしなどの気を操る技法は、ルーツを同じくする兄弟の関係にあります。勘違いしてはいけないのは、こういった技術は、あくまでも病気を治そうとする体の反応を引き出すために「情報を与えているだけ」だということです。神社に伝承されているのは、基本的に精神文化ですから、この種の技法は、「病は気から」の生命情報の部分にしか作用しません。暗示も含めて情報としての刺激を与えているのであって、それ自体に人知を超えた病気を治す力が備わっているわけではありません。ツボを押して刺激を与えることで、体の反応を引き出すといった、他の民間療法と基本的には同じなのです。病は気からの部分をダイレクトにコントロールできる、気を操る技法のほうが、単にツボを押す刺激よりも、さまざまな応用がきくケースが多いのですが、今回のテーマから大きく外れるので、紹介はまたの機会に譲ります。この場ではっきりさせておかなくてはならないのは、怪我や病気を治しているのは、あくまでも本人の自然治癒力ということです。だから、情報を与えるのは、応急処置にすぎないことが多いのです。医師の手で行なわれる、病気の原因を取り除く本格的な医療行為とは、比べられないと考えるべきでしょう。気を操る技術について、自然治癒力以上の何か科学的に把握できない要素が存在すると、期待させるような話をする人がいますが、その場合は、現実に起こる出来事ではなく空想や願望を話していると受け取って、注意する必要があります。

日本で最近出回っているレメディを、私に見せびらかしに来た人がいたので、目の前で口の中に入れてもらったことがあります。その人の気の流れの変化を読み取ろうとしましたが、何も起こっていないことが明らかでした。私が意図して疑うような怪訝な顔(雰囲気)を作って心理誘導したため、プラシーボ(擬似薬の暗示)効果すら働いていないようでした。このことを指摘してから、手かざしすると、あっと言ってお腹を押えたので、「ストレスを溜めすぎですね」と指摘したら「そうなんです」と苦笑してました。「気の流れの変化が感じられるでしょう?」「はい。とても温かいです」「本当にそのレメディに効果があるなら、たとえプラシーボ効果が働かないようにしても、今感じているような反応が体に起こるはずです」「・・・ということは、これは偽物ですか!」という結論になりました。一目瞭然とはこのことですね。このように、体の内部の生命情報がどのように変化しているのか、ややこしい検査などしなくても、リアルタイムで察知する方法があるのです。体の状態を検査して把握する科学的な手段がなかった時代に、複雑な漢方薬の処方の体系などを、経験と勘だけで組み立てるのは困難だった筈です。それが出来た背景には、上に示したような、現代人が見落としている、一目瞭然のリアルタイムで体の状態を把握する手段の活用があったと思われます。

現代人は科学的実証主義に頼りすぎているため、人間が感じ取る能力や抽象的な概念の使用を全面否定するような、短絡的な発想を持っています。しかし、「自然治癒力は体が感じ取って働く」ものなので、体内の「化学物質の濃度がそのときいくらあったか」といった定量的な事実は二の次になります。「そのときどう感じ取って、どのような生命情報を保持していたか」という、主観的事実のほうが意味を持つのです。この点は、科学的実証主義と対立する部分でしょう。しかし、生命情報学の視点から見れば、脳や体が今どのような情報を持っていて、どのように意識されているかが、学問の対象です。「自分が病気だと体が悟る、情報の変化」を把握する手法を理解することは、専門家でも容易ではありません。同じ量のものに対しても、人それぞれで感じ方が異なるため、ただ定量的な事実を示してもそれだけでは無意味な場合もあります。生命が持つ情報を扱うときには、抽象的な概念である気の流れを把握したりコントロールする技術から得られる情報のほうが、一つのまとまった意味を持っているため、判断の決め手となることもあるのです。

気が架空の概念と言っても、気の流れの変化に伴って、磁気センサーを用いて得られる脳磁図が変化していることを指摘できるケースでは、ある程度客観的事実とみなされます。情報の担い手として、痛みの信号や、損傷電位や、ホルモン、免疫系をコントロールしている情報など、検出できるものはたくさんあります。手かざしの効果で気の流れが変化するときに自覚される温感や冷感は、サーモグラフィーで簡単に知ることが出来る非常に分かりやすいものなので、錯覚でないことは一目瞭然です。気功や手かざしなどの気を操る技術が、怪しげで効果がない他のものとはっきり区別される理由は、作用を受けた結果体感される変化と、実際に機器を用いて計測されるデータが、しっかり対応を見せているからです。新興宗教の教祖などが、神道に伝わる手かざしを真似してみせることがあるようですが、中身がないまやかしの場合にはサーモグラフィーに何の変化も現れないし、血液を検査しても免疫系をコントロールする脳から分泌されるホルモンに変化が認められないので、気の流れが感覚として把握できない人でも、その真偽を客観的に見極めることができます。ただし、気の流れを人間が読み取った結果と、検査機器がとらえたデータが、完全に突き合わせられる段階までは進んでいません。生物が保持している生命情報は非常に複雑で数が多く、個々のものを追いかけていってそれらを足したら、一つの個体が持っている情報の総体や、意識上の認識が組み立てられるような、単純な構造にはなっていないからです。こういった情報が取捨選択されて組み立てられていく過程では、散逸構造生成による自己組織化が行なわれていると考えられています。これをコンピュータのプログラムでシミュレーションする手法が未完成なのです。脳や思考の自己組織化と同じ現象で、今盛んに研究されて日進月歩の分野の一つです。はっきり言って、こんなややこしいシミュレーションを機械にさせるよりも、抽象的に気の流れの変化として捉えるほうがずっと楽だし、本来人間はそう考えるように脳が作られているフシがあります。抽象的な概念は、もともとそういう知的情報処理を行なうために存在するものですからね。機械が苦手とするこのような分野は人間の脳に判断させて最終的な回答としていいと思うのですが、科学的実証主義に傾倒しきっている現状では、そうもいかないようです。じつは、脳とコンピューターを接続して、人間の思考能力を拡張する研究分野では、一般に知られている実証主義とはまったく違う科学的手法も採られるようになってきています。科学が次世代のものへと進化する動きはすでに私達の手元で始まっています。

というわけで、病気を治そうとして、体の中で順次起こる生命情報の変化を、一般の人が把握することは非常に難しいと思います。「病気だと体が悟る、情報の変化」に対する認識不足が原因で、「ホメオパシープラシーボ効果と結果が同じ」という、肯定派否定派双方が共通して持つに至ったファイナルアンサーの周りで、その受け取り方や解釈を巡って、おかしな混乱が生み出されているように見えます。いろいろ書いてますが、今回最も重要なのは、この文章です。

私と同じように社家に生まれて、子供の頃から、伝承されてきた手かざしを習った人でも、本当に勉強熱心なら、大学に進学するときには、心身医学や内科や病理学などを選択しています。従姉妹にもそういう人達がいます。患者に接するときに、手かざしや気功のテクニックを使っていますが、ほとんどの患者はただの触診だと思って気付いてません。「あの先生達に診てもらうと、耀姫様から気を頂いたときと同じように温かくなる」「温かい癒しの手をなさっておられる」といった反応を示す神社の氏子の方々が多いのです。なにもミスターマリックのハンドパワーのショーのような目立つことをしなくても、患者の気の流れを整えて自然治癒力を導き出すことは可能なんですよね。神社と違って病院内で、あからさまなことをすると、宗教臭さを嫌う患者さんは不信感を抱いてしまうので、逆効果でしょう。悟られることなくスマートに処置するのが重要と、従姉妹達は心得ているようです。場合によっては、「これから暗示をかけます」、と説明したうえで、「お腹が温かい」といったキーワードを用いて暗示を与えるシュルツの自律訓練法と、手かざしの技法をこっそり組み合わせて、効果を狙うこともあるようです。その場合も、伝承されてきた古臭い手かざしの世界の用語を説明のなかに含ませることはないようです。心身医学の見地からの説明で必要十分だからです。彼女達の診断は西洋医学の知識に基づいているし、治療も国民健康保険が適用されるものが中心です。病状を改善するために必要な刺激を、適材適所さまざまな手法を用いて与えるのは、あくまでも補助で、病気の原因を解消する本格的な医療行為とは考えられていません。神社に千数百年伝わってきた、伝統に裏付けられた民間療法ですら、医療現場ではこのように脇役扱いなのですから、歴史が浅いうえに、原理を勘違いした形で、不自然な接木を施されて広まっている変質したホメオパシーが、本格的な医療と肩を並べることはありえませんね。

二百年前にドイツで生まれた時点では、ホメオパシーが治療に役立つケースもあったと思われます。「病状を揺り動かす物質を投与して、病気だと本人の体に悟らせれば、自然治癒力を引き出せる」という理屈は、毒性がある医薬品を投与する根拠の一つと考えられていたようです。現在使われている医薬品のなかには、量を間違えると毒になるものがたくさんあります。毒物を体に入れて刺激することで、症状を望む方向に動かす考え方は、修正を施されて現代の医学のなかに今も息づいているようです。でも、有効性の検証を経て、副作用が出ない安全な量を見極めることで、医薬品として認可を受けて、医師の手で処方されています。製薬会社は多くの化学物質が持つ作用を長年研究してきました。二百年前にホメオパシーの研究過程で注目された効果が顕著なものは、すでに検証を終えて、有用な部分は西洋医学に取り込まれて久しいと考えるのが妥当でしょう。ところがです。「現代医学とホメオパシー医学のそれぞれの専門性を生かし協力し合うことが大切」なんて、もっともらしい錯覚に誘導するような文章を載せているサイトがあるようです。漢方薬ならば、西洋医学と異なる歴史を辿り、病気に対する考え方も大きく異なるので、現在でも明確に線引きされて、西洋医学の薬とは分けて処方されます。しかし、ホメオパシーは違いますよね。西洋医学の中で生まれて、二百年の歳月を経ることで、有効なものとそうでないものを選別する作業が、すでに終わっていると考えてよい状況です。西洋医学の中に吸収されて久しい知識なのに、今さら両者が協力する必要があるなんて書くのは不自然すぎます。

その点、神社に伝わる、患者の気の流れを操作する手かざしの技法などは、まだまだ西洋医学とは異なる体系を保っています。従姉妹達は、心身医学の見地から神社に伝承されてきた技法を解釈して、何の矛盾も生じないように医療現場に溶け込ませていますが、それは臨機応変に器用にやっているからです。もしも不器用な医師が、ミスターマリックのハンドパワーのような派手なパフォーマンスを胃腸炎の患者相手に医療現場でやったら、ジョークか心霊治療と誤解されて、患者に逃げられても仕方がないと思います。違和感ありまくりでしょうからね。じつは、従姉妹達が働いている大学病院の研修医のなかに、そうとは知らずに、無意識のうちに手かざしのテクニックを習得してしまった器用な人がいます。お腹が痛いといって受付のところで泣いている女の子に向かって、「こうすると温かいよね」とお腹を触診しながら痛みを取り除いて、泣き止ませているのが目に留まりました。私が従姉妹に「あの研修医も神道関係者?」と尋ねたら、「いいえ、見よう見真似で覚えちゃったみたい。あなたが彼に、脳のリミッターを解除して効果を高めるコツを特訓してあげれば、意外と伸びるかも?」「本当のことを教えたら、カルチャーショックを起こさないかしら?」なんて笑い話になったこともあります。研修医本人は手かざしとは露知らず、心身医学で説明できる暗示を効果的に与えるテクニックだと思いこんで、何の違和感も覚えずに活用していたのです。

彼がお正月に神社を訪れた機会をとらえて、従姉妹達は私が座っている祭壇のところに連れてきました。大学病院のなかで顔を合わせるときと違って、太陽神を示す天冠をかぶり、神服をまとって男装し、太陽神(男神)の力の象徴とされる日矛鏡(分霊品)を胸から下げた姿で、御簾を隔てて座っていたので、初めは誰だか分からなかったようです。言霊が響く話し方をするし、言葉を取り次ぐ役目の人を介して、間接的に会話する形をとるシキタリがあるので、分からなくても当然でしょう。御簾を上げてから、仰々しい派手な所作で、手かざしを用いて彼の太陽神経叢を刺激してあげました。それによって初めて、本人が使っているテクニックが、神社に伝承されているものと同じで、しかもレベルが低かったことを悟ったらしく、唖然としていました。魏志倭人伝に記された卑弥呼の鬼道の正体について研究した歴史学者も指摘していることですが、日本の神道高句麗道教の流れを汲んでいるため、道教の内丹術(体内の気を練る術)から発展した独自の体系を伝承しています。彼が気付かずに用いてきた手かざし系の幾つかのテクニックもその一部だと知って、カルチャーショックを受けたようでした。さらに、目の前にいる神がかりして耀姫と一体化した女性が、内丹術の技法をすらすらと心身医学の用語を用いて解説することに驚くと同時に、病院で何度か会話したことがある人物だと気付いて、またびっくりしたようです。真相を全て理解した彼の口から出た言葉は、「生命情報を制御する技術の体系が伝承されてきたことは理解できましたが、今のままでは世の中に受け入れられず消えてしまう可能性があると思います。西洋医学に移植してはどうですか?」でした。それに対して「漢方と同じで、根本的な発想が西洋医学とは異なるので、それは不可能です」と耀姫は答えました。

この人物がたいしたものだと思ったのは、普通の人は神社に祭られている神と対面して神威を感じたら、畏怖して平伏するのに、彼は胡坐を正座に変えて身を正して畏まって足元が震えながらも、背筋を伸ばしてしっかりと自分の意見を耀姫に向かって示したことです。神からの託宣を頂く神聖な場所ですから、普通の人は気後れしてしまい、とても神に向かって意見などしないものです。言葉を取り次ぐ役目の者は首を横に振って、畏れ多くも神に向かって意見する言葉など取り次ぎたくない、無礼者として退けたいというそぶりを示したのですが、私が神剣の柄を鳴らして注意を引き、目配せでそれを制して奏上させて、強引に会話を成り立たせたのです。そのうえ彼は、耀姫から「それは神である私にも不可能なこと」という意味の言葉を引き出したわけですから、その場にいた氏子のなかには、驚愕して狼狽を隠せなかった人もいました。はっきり書きますが、神頼みされても、神社の神様にだって出来ないことはたくさんあります。私はそういう点を信者の前で誤魔化したりしません。神様は万能の存在だなんて幻想を育てても、空虚な迷信に陥るだけで、得るものはないですからね。

どうして神社の祭壇に祭られている本物の神である私にも出来ない相談かというと、気を練る技術の効果を高める奥義として、脳のリミッターの解除に関する技法がなど、幾つか重要な鍵となるポイントがあるのですが、現在の心身医学の暗示の効果に関する知識の中には、脳のリミッターの解除一つとってみても、ごっそり欠け落ちていて存在しないのです。したがって、今のままでは未実証・未検証・未科学の要素として扱われてしまいます。従姉妹が病院で私に向かって「あなたが彼に、脳のリミッターを解除して効果を高めるコツを特訓してあげれば?」と提案したのは、西洋医学の世界ではまだ認知されていない事柄なので、大学病院では研修医に向かって教えることが出来ないと判断しているからです。もちろん、神社では民間療法として伝承されてきた技術として、これを伝授することに問題はありません。このように、医療現場では、西洋医学と東洋に伝わる神秘の技術の間に明確な線引きがされていて、両者を混同しないように注意が払われているのです。こういった判断が働かない人物は、迷信的な治療方法とそうでないものを区別することも出来ない、認識が曖昧な状態にあるわけですから、信頼できる医師や研究者とは言えないと思います。神道の世界で伝承してきた民間療法の体系を、下準備が整っていない今の段階で移植するのは無理があります。もちろん、火事場パワーをはじめとして、脳のリミッターが解除される現象の存在は広く知られ、メカニズムも解明されてきていているので、オカルトと混同する人はまずいなくなりました。しかし、脳リミッターの解除によって、気功や手かざしの効果がアップする現象については、専門家の間でも知る人が少なくて、「そんな現象は聞いたことがない」と、否定的な見解を示す研究者が大部分という状況です。研究者達が不勉強と言ってしまえばそれまでですが、学問の進歩には段階があるので無理強いすることは出来ません。脳の研究の進展と足並みを揃えながら身心医学が発達していくのを待つ必要がある領域なのです。

ほかには、ツボは東洋医学の世界で伝えられてきたものですから、明確に線引きされていますよね。たとえば、歯科医のなかには、局所麻酔が効いたかどうか確認するために、親指と人差し指の間に存在する、一本一本の歯の神経と対応したツボを、先が尖ったもので刺激して、患者の反応をみてから治療を始める人もいます。これなどは、西洋医学に東洋の技法がうまく取り込まれて融和している一例でしょう。

したがって、気功や手かざしやツボ刺激といった東洋で伝承されてきた技法を、今後西洋医学とどのように併用していくかという議論には意味があります。しかし、誕生してから二百年経過しているホメオパシーが、いまだに現代の医学と融和できていないなんて話が出てくるのは、あまりにもおかしい不自然なことだと思います。もしも、ホメオパシーのなかに、まだ西洋医学が吸収できていない、なにか有用なものが残っていると感じる人がいるなら、論文を発表して学会に認めてもらえば済むことです。ところが現実には、波動ホメオパシーに対して否定的な論文ばかり目立つのですから、芽がないことは明らかです。現代の日本で流通している変質したホメオパシーは、カビが生えた二百年前の古いままの知識の上に、根拠が定かでない似非科学にしか見えない波動理論を強引に接木して、不自然な結論を導き出そうと必死になっているように見えます。日本学術会議が「荒唐無稽」と言い切ったのは当然でしょうね。これによって、ほとんどの人は用心して、距離を置くようになったと思います。

ホメオパシーという考えかたの乱用から起こった混乱は、今後終息していくと思いますが、再びこのような騒ぎが、別の形で起こらないとは限りません。ツボを刺激したり、気の流れを変化させたり、催眠暗示を与えるといったさまざまな手法で、自然治癒力を導き出す「生命情報を操る」技術は、ある程度有効な要素を持っているため、昔から民間療法として存在してきました。一般に「病は気から」と言われている領域は、心身医学として扱われるようになりましたが、まだまだ気功の正体など、十分解明されているとは言えない不透明な要素を抱えています。実際には、情報ネゲントロピーの注入といった熱力学から生まれた言葉と生命情報学(バイオインフォマティクス)の考え方で説明できる部分もあります。かなり分かってきてはいるのですが、まだ説明に必要なものが全て出揃っておらず、表に出す時期ではないようです。そういった隙間につけこまれる形で、怪しげな理屈を強引に接木されて、不自然な形で流行する可能性が残されています。医療現場とかけ離れた霊感商法などに悪用される可能性があります。そのような混乱に巻き込まれる被害者が出ないように、予め警鐘を鳴らしておく必要がありそうです。