直接意識できないものをイメージ化して思考対象にする技術(風力発電

環境庁が行なう、風力発電施設が出している低周波騒音の実態調査のニュースを読みました。意識できない音の影響は、直接感じ取れず、思考対象に出来ないから、対策が遅れているんですよね。良い機会だと感じたので、多くの現代人の常識をひっくり返す、ちょっとした面白い技術を紹介してみようと思い立ちました。使いこなせるようになれば、脳で処理できる情報の量・次元ともに桁違いになる、というシロモノです。私は人間の脳が遺伝子の命令でどのように作られていくのか、自己組織化の過程を研究するのがライフワークですから、それなりの価値ある情報を発信できると確信しています。でもご心配なく。出来る限り専門用語を使わずに、一般の人向けに書くつもりです。

風力発電施設(巨大な風車)から、人の耳に聞こえない低周波音(20ヘルツ以下の振動)が出て、不眠などの体調不良の原因になっている可能性があるので、環境省が実態調査を行なう、という報道がありました。畑に小さな風車を立てると、振動音が地中に響くので、モグラが嫌って逃げていくらしく、ホームセンターで売られています。同じように、巨大な風車が出す低周波騒音は、人間に直接聞こえないものでも、影響が出てしまうようです。コンサート会場に行くと、大きなスピーカーや太鼓から出てくる低音は、お腹に響くものとして感じられます。20ヘルツ以下の音は、耳では聞こえないとされていますが、体が無意識のうちに感じ取って、影響を受けているようです。不眠などの体調不良が起こって、クレームが殺到すれば、やっぱり公害ってことになりますよね。

体は影響を受けているけど意識できない刺激って、じつはたくさんあります。人間の意識は、海面から出ている氷山の一角、と喩えた研究者もいるようです。氷山はその大部分が海面下に隠れているように、人間の場合も、意識できない無意識の領域のほうがはるかに大きいって意味なんですね。意識するには、頭の中に感覚要素のイメージが生まれる必要があります。たとえば音のイメージは、音量・音程・音色といった感覚要素で構成されています。2万ヘルツ以上の超音波は人の耳に聞こえないとされていますが、実際には脳が刺激を受けて反応していることが分かっています。2万ヘルツ以上が録音されていないCDの音楽を聴くよりも、2万ヘルツを超える音まで録音されているアナログレコードの音楽を聴くほうが、感動すると考えている、オーディオマニアの人が多いのは、2万ヘルツ以上の、イメージとして意識できない高さの音にも、脳が反応しているからなのです。そういった聞こえない音が、人の心や体によい影響を与えてくれるなら何も問題はないのですが、実際には、人が不快に感じたり、体調不良を起こすような、超音波や低周波音が存在するようです。

人間の脳がイメージ化出来ない、意識できない振動でも、無意識のうちに脳は情報処理していることは、上の観察からも明らかです。では、無意識レベルで行なわれている脳内の情報処理を、なんとか意識出来るようにする、良い方法はないでしょうか? もしそれが可能なら、風力発電施設の公害問題は、もっと容易に扱えるようになるはずです。じつは人間は、直接イメージ化できない刺激(情報)でも、間接的にイメージ化する手段を、生まれながらに持っています。何だと思いますか? どうして一般的な現代人は、間接的にイメージ化する手段に、考えが及ばないのでしょう? じつは、擬人化と呼ばれる情報処理の手法がその手段なのです。

一般的な現代人は、擬人化は喩えの一種と認識しています。草木や花には人のような心はありません。でも、もしも心があったなら、というアニミズム的な発想を用いて、草木の妖精や花の女神をイメージして、擬人化して表現することが、ファンタジーの世界では、一般的な表現手法になっています。ここからが重要な、常識がひっくり返るポイントなので、先入観を持たずに、注意深く考察を進めてください。現実世界のあなたの目の前に、花壇があるとします。そこに咲いている花々を擬人化した、花の女神達と会話すれば、花の心を知ることが出来るのではないでしょうか? え? そんな想像はフィクションだから、考えても無意味? 現実と空想を混同した間違った考え方になっている?

答えから先に書くと、じつは、私達は気付かないうちに、物事を擬人化して考える習慣が身についています。意識して擬人化していないので、疑問を感じないだけです。擬人化は、日常的に普通に用いられている思考パターンで、高度な知的情報処理の一手法なのです。このように解説しても、ほとんどの人は腑に落ちないと思います。物事を擬人化して考えるのは、ファンタジーの発想で、空想と現実は違う、というのが、現代人の思考様式上の不動のお約束ですからね。では、180度視点を変えた、意地悪な質問を試みます。あなたは、無意識レベルで、物事を擬人化した発想をしていませんか? じつは、この質問に答えられる現代人はほとんどいません。盲点になっているからです。

無意識のうちに行なわれている脳内の知的情報処理の厄介なところは、意識的な思考対象にならない、という点です。簡単に言えば、自分で考えているのに、考えているという自覚がないのです。つまり、意識して考えられない問題なので、お手上げってことですね。ところが、心理学の世界では百年前から、人間は無意識レベルで、擬人化して物事を考える習性を持っていることが判明しています。かなりの研究が行なわれてきた歴史があります。それは、精神分析とか、夢解きと呼ばれている分野です。夢の中には、その人の深層心理が擬人化されて、人の姿をとって出現することがよくあります。たとえば、男性が女性を愛する心理は、少女の姿を取ることが知られていて、心理学者のユングは、彼女をアニマと名付けています。深層心理は、色も形もないものですから、直接意識上にイメージ化することが出来ないため、夢の中では擬人化された人の姿でイメージされるのです。

夜見る夢の意味を分析して、コンプレックスを解消するといった心のメンテナンスを行なう技術は、すでに百年の歴史を持っています。深層心理は、現実世界に実在する脳の中で作動しています。当然、人が抱えて悩んでいるコンプレックスは、現実問題です。夢の中で擬人化することで問題を解決する行為は、フィクションではありません。現実に実在する課題を、知的に情報処理しています。上のほうで、擬人化=ファンタジーの発想で、空想だから考えても意味がない、という現代人の常識的発想について観察しました。心理学の常識と、現代人の常識には、食い違いがあることが分かると思います。擬人化はファンタジーの世界でのみ有効という、事実に反する現代人の思い込みは、根拠がなく視野の狭い盲信にすぎないことが、以上の考察から明らかになりました。

現実世界の物事を、擬人化して考える発想は、ありとあらゆるものに神様が宿っているという、アニミズムの発想を持つ、日本の神道の世界では常識です。八百万の神々は、空想上のイメージですが、架空のものだから価値がないとは言い切れません。知的情報処理による問題解決の手段として、古い時代からずっと使われてきたのですから。

視点を変えて、数学の代数を観察してみましょう。代数は、式の中に仮に配置する、中身が不明の架空の数値Xです。数式を解くまでは、実在する数ではありません。架空の数を設定することによって、知的情報処理を可能にする、問題解決の一つの手法です。同じように、花を擬人化した架空の存在Xが、花の女神です。代数を用いた方程式を組み立てるのと同じように、知的情報処理を行なえば、意味のある結果を得ることも可能です。人間は、夢の中では無意識のうちに、この種の情報処理を行なっています。だから、夢の中に擬人化した人や妖精や神のイメージが出現するのです。擬人化という代数的手法を用いた情報処理を、一般の現代人は、覚醒した状態で行なえなくなっています。これは、科学的実証主義を重んじる考え方が普及して、代数的発想を否定した結果生まれてきた弊害でしょう。

代数を用いて方程式を組んで課題を解決できる人々と、数学が分からない人々では、問題解決能力に大きな差が生まれます。同じように、擬人化という手法を用いて、意識できない対象をイメージ化して、意識上で思考できる手段を持っている人と、持っていない人々では、大きな差が生まれます。分かりやすい例として、花壇に咲く花を擬人化した、花の女神のケースで説明してみましょう。通っていた私立の中学校のバラの花壇の水遣りは、生徒達で担当を決めてやっていました。生徒会を代表して私が担当した中庭の中央の花壇は生き生きとしていましたが、別の場所の花壇は、傷んだ状態になっていました。バラの消毒に来た業者が、綺麗な花壇を見て褒めたので、生徒達から質問が出ました。「バラは葉の先が少ししおれるぐらいのタイミングで水遣りするのがベスト。そのコツが分かっているかどうかで差がつく。」業者のアドバイスを聞いて、生徒達は水遣りのタイミングを改善したつもりでしたが、やはり中庭の中央の花壇とは違いが出ていました。

植物の授業中に教師が私に水遣りのコツを質問したので、こう答えました。「マリーベルが水遣りのタイミングを教えてくれるの。」「マリーベルって誰?」「身長30センチぐらいで、背中に揚羽蝶の羽が生えている、私がイメージしたバラの女神です。」教師は、この突飛な回答に面食らって、冗談だと思ったようですが、同級生達はそうは受け取りませんでした。神がかりの神事を担当する神社の娘ですから、自分達に見えないものが見えても不思議ではないだろうという憶測が働いたようです。私が、彼女達には見えないマリーベルが飛ぶ姿を目で追う仕草をすると、一斉にスプリンクラーを動かしに行くようになってからは、バラの花壇に大きな差は出なくなりました。

なぜ、空想上の架空のイメージにすぎないバラの女神マリーベルが、私に正しい水遣りのタイミングを教えることが出来たのでしょう? 人間は、生い茂る草木を遠くから見ただけで、何か清々しいものを無意識のうちに感じ取ります。「草原の魂」という精霊を感じることができたアフリカ原住民の伝承などもあるようです。その、漠然と感じられるものが、ただの錯覚ならば、バラの花壇の水遣りの結果に差が出たりはしません。人間は意識しないレベルで、一目見れば草木の生育状態を把握できる能力を持っているようなのです。長い進化の過程を通して獲得した、生存環境の良し悪しを直感的に判断する、動物レベルの無意識に働く勘だと思います。これは、意識出来ないレベルの認識だから、一般的な現代人は判断材料として活用できなくなっているわけです。その点、私は神社の娘で、あらゆるものに神が宿っていると教えられて育ったので、何の抵抗もなくバラの花を擬人化したマリーベルをイメージすることが出来ます。バラを遠くから見ていたり、漂ってくる香りを楽しむことで、無意識に動物的な勘として感じ取っている情報を、花の女神に投影して、水遣りのタイミングをはっきりと意識できるから、私が水遣りする花壇は生き生きしていたわけです。

深層心理という、目に見えず直接意識出来ない存在を擬人化したコンプレックスの化身と、夢の中や夢分析を通してコミュニケーションすれば、心のメンテナンスが可能になります。これは、心理学の世界では百年不動の定説です。同じように、無意識レベルで感じ取っていても、意識出来ない情報を、擬人化した化身としてイメージしてコミュニケーションできれば、課題が解決できるという事実も、不動のものだと思います。これは、日本神道の世界に、八百万の神々という認識のもとで、千数百年伝承されてきた常識だったのですが、西洋の科学技術文明のほうが優れていると錯覚した現代人は、代数的な情報処理が可能だという事実を信じなくなってしまったので、このような発想や思考方法を見失っているわけです。数学では架空の数Xを使うことを認めながら、他の思考では架空の人格Xを使うことを否定する現代人の発想は、自分の脳内で無意識のうちに日常的に行なっている擬人化(アニミズム)を用いた、数学と同等の論理的な思考の存在を否定して切り捨てているのです。

風力発電設備の風車が回転して生じる低周波騒音を直接意識出来なくても、無意識のうちに体はストレスを受けています。「なんだかよく分からないうちに健康被害を受けている」という認識レベルでは、どうにも対処に困りますよね。もしも、無意識に感じているストレスを、擬人化して思考の対象に出来たらどうなるでしょう? ストレスは、悪魔や鬼の姿でイメージするのが適当と思います。そういった架空の化身としてイメージ化すれば、意識上で具体的に問題を把握して積極的に考えることが可能になります。

私は今日のニュースを読んで、風車が立ち並ぶ丘を散歩しながら、鬼神の姿をした式神の一人と会話しました。その結果、風車から1キロ程度離れないと、低周波騒音のストレスを感じて、体調にも影響が出ることが分かりました。振動に対する感じ方は個人差があるので、計測器で騒音レベルを測定すれば解決するような単純な問題ではありません。影響を受けている人達の脳の中で、無意識のうちに情報処理されているデータを直接取り出せれば良いのですが、山野を歩き回りながら脳磁図などを得るのは困難でしょう。どの範囲でどの程度のストレスを受けているのか把握していく作業は、実行が難しいと思います。となるとやはり、擬人化の手法を用いて個々人が自分でチェックしていくのがベストでしょう。

一般的な現代人は、自分の深層心理をどうやったら擬人化して、意識上にイメージできるのか、分からなくなっているようです。ただ頭の中に、化身のイメージを想い描いただけでは、空想上のキャラクターにすぎないので、会話しても意味のある情報を得ることは期待出来ません。夜寝ているときには、コンプレックスの化身などを無意識のうちにちゃんと正しくイメージして、心のメンテナンスに必要な情報を的確に取得できるのに、覚醒状態ではそれが出来なくなっているのが現代人です。神道の世界観を持つように育てられた私達から見ると、なんて不器用な人達なのかと感じてしまうのですが、現実と空想を明確に分ける、実証主義に立脚した科学知識を持つように教育された反動ですから、仕方がないのかもしれません。じつは、西洋に伝わる伝統的な精神文化、つまり魔法の世界にも、心を操作する技術が伝わっていて、想像上の化身と契約を結ぶという発想が根底にあります。キリスト教の経典は旧約聖書新約聖書ですが、ここに出てくる『約』は、神と人間の間に交わされた契約という意味を持っています。西洋の世界に伝承されている契約の儀式こそが、深層心理と化身を心理的に連結する技法なのです。神道の世界では、化身のことを式神と呼びます。術者が使役する神という意味で、つまり生活に役立つように、擬人化したイメージを操る技術のことです。もちろん私のマリーベルも、神社に伝わる正式な神事を用いて神降ろしした式神の一柱です。神降ろしの神事の正体は自己催眠現象です。その暗示効果によって、深層心理の次元で無意識に感じ取っている事柄と、式神を連動させることが可能になるのです。深層心理とリンクしたマリーベルのような化身は、ただの空想上のキャラクターと違って、確実に無意識の世界の情報を意識上に引き上げてくれます。

近年になって、オカルト系のマンガやアニメや映画のブームが起こって、陰陽師式神がずいぶん有名になりましたが、同時に、勘違いの山のような文化が出来上がってしまいました。そのため、実用性のある有用なものだということが、一般の人々から完全に見えなくなっています。私達が使う式神は、オカルトの発想を用いなければ理解できないような、非科学的なあやふやなものではありません。百年前のフロイトユングの心理学のレベルでも、十分に説明可能な心理現象です。代数的な知的情報処理を担う存在だということを、誰かもっと上手に簡潔にネット上で解説してくれないかなーと思う今日この頃です。

じつは、このような化身を、アイコンのようにコンピューター上で数理演算処理するソフトを、プログラマー達に組んでもらっています。トランプのカードで遊べる子供なら、仮想人格を描いたカードを、直感的に扱うことが出来ます。NHKで放送されていたアニメ、カードキャプターさくらに登場する、魔法の人格を宿したカードのように可愛がれば良いのです。ただし、深層心理とリンクさせなければ、ただの架空のキャラクターのままです。なので、魔法の契約の儀式を自己暗示として用いるか、神道の神降ろしの神事を自己暗示として用いるか、洋の東西は好みで選んでかまわないのですが、とにかく催眠暗示を用いて深層心理と化身をリンクさせる作業だけは必須となります。この点が、普通のコンピューターのソフトとは大きく異なるポイントです。そのコツさえマスターすれば、子供の発想でも運用(オペレーション)できるシステムが完成しています。

でも、この方面はブレイン・マシン・インタフェース(脳とコンピュータを接続する技術)の開発競争が絡んでくるので、今は公開できません。産業機密の部分があるのです。人間が意識出来ない無意識レベルの思考を操作出来る技術は、悪用されると非常に厄介なことになる危険もあります。だから、西洋魔法で用いる呪文は秘密とされ、神道の重要な神事も非公開とされ、催眠の技術も一般には公開されていないのです。したがって、今のところ一般公開の予定はありません。まずは、神社に古くから八百万の神々という形で伝承されてきた、無意識レベルの思考を擬人化して意識上で扱う技術が普及しないことには、人類の思考能力を飛躍的に拡張するソフトの御披露目はできない状況なのです。