神社に伝わる神憑りの神事の正体を科学的視点から解明する

 神社に伝承されているものの中で、最も誤解を受けやすく、間違った認識を持たれて情報が錯綜しているのが、神憑りの神事だと思います。まず、一般的な参拝方法を確認すると、1.手を洗い口をゆすいで清める.2.鈴を鳴らす.3.お願い事をする.4.おみくじを引く.という手順になると思います。じつはこれは略式で、正式にフルコースでお参りする場合は、以下が四項目が前に挙げたものと対応します。1.禊をして.2.神楽鈴を手に持った巫女の舞を鑑賞して.3.神憑りしたところで神様にお伺いして.4.回答の神託を頂く.これを実際に実行しようとすると、一般の人にはかなりの負担とリスクが伴うでしょう。禊は厳寒期に川や池に氷が張っていても、それを割って水の中に入って全身を洗い清めなくてはならないこともあります。私達や寒中水泳に慣れている人は平気ですが、一般の人が試みれば心臓麻痺の危険すらあるでしょう。体温を下げすぎれば免疫力が低下して風邪をひく可能性もあります。さらに神楽鈴を手に持って行う巫女舞は、たっぷり一時間ほどかかります。フルコースを体験しようと思ったら、それなりの覚悟が必要でしょう。略式の場合は非常に簡単に済ませられるようになっていて、巫女から神託を頂く代わり、さっとおみくじを引けばすぐに結果を知ることが出来るのだから便利ですね。私も今年からはおみくじで済ませることにしたいなーと・・・冗談です。


 なぜ神憑りして神託を頂く神事が誤解されているのか、ポイントを洗い出してみましょう。1.多くの神社で神憑りという現象が、そもそも起こらなくなってしまっている。お祭りのときは、伝承されている形だけ踏襲したものをやっているケースも多い。2.そのため本当の託宣(神託)もない。昔はあったという記録が文献などに残っているが、最近はほとんど聞かないと感じている人が多い。3.どういう現象なのか、体験したことも見たこともないため、よく分からないまま、精神疾患の憑依妄想と漠然と関連付けている人が多い。4.偶発的に霊にとり憑かれる心理現象が起こった場合、ほとんどの人が精神科に連れて行かれて、憑依妄想と診断・治療を受けている。5.精神病と同一視された神憑りの現象は、社会的に有用性を認められていない。といったパターンで衰退しているようです。統合失調症は百人に一人が発症する身近な病気と主張する専門家もいるぐらいなので、憑依現象もそれなりに発生している筈ですが、病気として処理されるため、表に出て来ることは稀と思います。

 敏感な方は、上の5.の書き方と内容に、不自然さを感じていると思います。私は、憑依妄想は本来は必要があって出現するもの、有用性なものと考えます。昔は、世界中のお祭りで、祭りに伴う独特の雰囲気に感化されて、催眠暗示効果が働いて神憑りが起こっていたことが、さまざまな資料から見て取れます。シャーマンではない普通の参加者も、神憑りすることがあります。もしも心因性(暗示性)の憑依妄想が病的なものならば、一定の条件下で正常な人でも起こる、なんてことはありません。最後まで読めば明らかになりますが、神憑りは、じつは非常に大切なメッセージ性を担っている心理現象で、必要とされる場面で、必要だから必然的に起こっているのです。この視点からの認識が、古い伝統的な文化の内容を適切に理解できていない、現在の西洋医学からは完全に欠け落ちています。自己催眠の暗示によって起こる神憑りは、病的なものではないため、暗示を解けばすぐに正常に戻ります。精神病としての治療の必要はありません。ところが、精神科医で、「病気と区別できる憑依妄想が存在する」という認識を示す人がほとんどいません。神憑りは、昔から世界中のお祭りの中で起こってきた、存在をよく知られている現象にもかかわらず、心因性(暗示性)の憑依妄想は存在しないかのように振舞っています。明らかにおかしいですよね? つまり、憑依妄想を全て病気と考える、混乱が生じている可能性があることになります。統合失調症は百人に一人が発症することにされてしまっていますが、その中に、正常な人に現れた心因性の病的ではない憑依妄想が、無理やり押し込められてしまっている可能性が高いと思います。曖昧な書き方をしているのは、諸事情に配慮してのことで、私はこのような場でなければ、遠慮なくもっと断定的に書きます。話を戻して、お祭りとは関係のない無意味な場面で、必要もないのに発生する憑依妄想のなかには、明らかに不自然なものが含まれています。もちろん、脳内の神経伝達物質のバランスが崩れているといった、何らか物理的な原因が潜んでいる場合には、心因性(暗示の思い込み)ではないため、暗示を解く方法では正常に戻りません。とうぜん、精神疾患として医師の処方を受けて治療する必要があります。

 お祭りの雰囲気の中でなくても、自己催眠の暗示にかかって、憑依妄想の状態になることがあります。実際にあったという資料が残っているのは、コックリさんなどの遊びの場面で、狐に憑かれた状態になってしまったケースです。これは、「狐の霊が憑いて動かしている」といった情報が用意されていて、自分で暗示をかけて憑依妄想にとりつかれているので、お払いの仕草をするだけでで、簡単に暗示を解除して憑き物を落とせます。また、次のようなケースも考えられます。夜寝ていて突然目が覚めて「金縛りで動けない」不思議な現象(睡眠麻痺)を体験して、原因が理解できないため大きな心理的ショックを受けて、霊の仕業ではないかと考えたため、恐怖心から憑依妄想の暗示にかかってしまうパターンです。このようなケースでは、体のどこも悪くないのに、偶発的に運悪く憑依現象に陥っているだけですが、精神科に連れて行かれて、憑依妄想の診断を受けてしまう可能性があります。脳に何の問題もないのに不用意に治療薬を誤処方されると、薬剤性精神病(Drug-induced psychosis)の状態になる可能性もあると思います。憑依妄想の暗示にかかっているだけなら一瞬で解くことができるのに、「まず妄想が解けないかどうか確認する」ことを考える精神科医がほとんどいないようです。何でもかんでも薬で治そうとする医師が多いと感じます。その結果として、統合失調症は百人に一人が発症する身近な病気という状況を作っているとしたら、医原病の可能性も出てきます。(奥歯に物が挟まった書き方でごめんなさいね)


 ここで、神憑り・憑依という現象の正体を明らかにして、混乱が生じないようにしておきます。神憑りの神事の原理は自己催眠です。催眠術は、眠気を催させることで、眠って夢を見るときの意識の状態に近付ける技術です。夢には小鳥や人物が登場します。夢の中の小鳥のイメージは、夢を見ている人の深層心理が作り出していますが、本人が手で捕まえたいと思っても、自由にならない場合がほとんどです。夢の中の小鳥は、まるで自分の意思を持っているかのように、自由に行動します。夢の中に登場する人も同じで、夢を見ている本人とは無関係に、自分の意思を持っているかのように話をします。さて、テレビの催眠ショーで、夢を見るときに近い意識の状態に誘導されたあとで、「あなたは小鳥です」と暗示を与えられた人はどうなるでしょう。夢を見るときに小鳥を動かしている深層心理を、暗示によって無理やり本人の体に適用させられた状態になるのです。すると、暗示にかかった人は、夢の中に登場する小鳥を動かしている深層心理に体を操られて、本人の意思とは無関係に小鳥の仕草や鳴き真似をすることになります。暗示を解くと瞬時に元に戻りますが、原理が分からない人は、どうして自分が小鳥の物真似などしていたのか理解できないと感じて、首を傾げます。つぎに、もしも「あなたは神様です」という暗示を与えられたらどうなるでしょうか。夢の中に登場する神様のイメージを作り出して動かしている深層心理が、強引に本人の体に適用されるので、本人の意思とは無関係に神様のように振舞って、本人が考えもしない神様の言葉を口にすることになります。これが、憑きもの現象や神憑りの正体です。心理学的に説明できない要素は見当たらないので、非科学的な神の霊なんてものは、想定する必要がありません。神様が夢枕に立ってお告げをもたらすことがある、とされているのは、夢の中の神様と、神憑りのときの神様が、同じ深層心理によって作り出されたイメージだからです。

 催眠ショーの憑依現象は暗示によって起こっていることが明らかなので、誰も異常だとは思いません。暗示を解けばすぐに元に戻りますからね。神事の場合も「巫女舞をすると神憑り状態になる」と、巫女本人が強く思い込んでいれば、自己催眠にかかります。巫女の体に降りてきて宿る神様は、神社に伝承されている神話を元にして、巫女が頭の中にイメージしたキャラクターにすぎません。幽霊のような非科学的な存在を無理に考える必要はまったくないのです。でも、ただの妄想にすぎないのなら、神憑りの神事は無意味で無価値なものなのでしょうか? じつはそうではありません。神社に祭られている神様のなかには、生前の優れた業績を没後称える形で祭ってあるケースがたくさんあります。優れた知恵を示した人物が他界したあとで、飢饉や伝染病が発生して世の中が乱れたときに、「もしもあの方が今も生きていたら、どうやってこの窮地を切り抜けただろうか」と、故人を偲んでふと考えることがありますよね。これが神憑りの神事の発想の原点です。つまり伝説の知恵者の優れた思考を、自己催眠によって脳が活性化して機能がアップした状態でシミュレーションすることによって、懸案解決のアイディアを引き出すことを可能にする技術の体系が存在しているのです。これを、ただの妄想と同じ無意味なものと考える人はいないと思います。神社には有用な精神文化的遺産が伝承されているのです。


 あらゆる宗教には、伝説上の優れた人格や知恵を持った人物に近付こうとする要素が見受けられます。神道もそれは同じで、神憑りの神事は、優れた業績を伝説として残した祖先に近付こう、知恵を借りようという向上心の表れでもあるのです。本格的なトレーニングを受けた巫女の場合は、巫女舞の自己催眠によってトランス状態(変性意識状態)に移行すると、脳のリミッター(安全装置)が解除されて、封印を解かれた力が発現します。たとえば、地震や火事に直面して生命の危機を察知すると、人は本能的に筋肉を保護していたリミッター(安全装置)を解除して、火事場パワーを発揮することがあります。これが、神憑りに伴う神通力の正体です。普段出したことがないような大きな力を出せるようになりますが、限界まで筋力を使うと筋肉は損傷するので、あとで激しい使い痛みに襲われることも珍しくありません。リミッターの解除は筋肉に対してだけでなく、脳のさまざまな機能に対しても起こります。最も典型的なのは、交通事故に遭って死を直感したとき、走馬灯のように記憶が駆け巡る現象でしょう。これは、生命の危機を回避する方法を、過去に体験した出来事の中から探し出そうと、記憶を超高速検索しているのを感じ取っているのです。加速されるのは検索機能だけではありません。交通事故が起こったほんの数秒間のことを、まるで何分もかかった出来事のように感じることがあります。これは自分の周りの時間の経過が遅くなったのではなく、リミッターが解除されて思考速度が普段の何倍にも速くなった結果、周囲のものがスローモーションのように見える状態になっているのです。

 私は耀姫(あかるひめ 阿加流比売)神に神憑りすると、周囲の物が動く速度が極端に遅く感じられたり、意識すれば飛んでくるテニスボールや羽根突きの羽根が止まって見えるようになります。もちろん打ち返すのがすごく楽になります。時間感覚が間延びするため、全身の産毛一つ一つに当たる空気が、まるでゼリーのような感じに変化します。リミッターを解除する前は、平常時は数多くの対象を一度にはっきりと認識することは出来ませんが、意識容量が拡大するため、自分の体はもちろん、周囲の物の状態一つ一つが克明に分かるようになります。神憑りすると普段の自分とはまったく違う視点から物事を考えるようになるだけでなく、思考能力が飛躍的にアップするので、普通の人がまず絶対に思いつかないようなアイディアが閃くことも珍しくありません。まさに、神の視点から物事を考えられるようになるのです。ただし、神憑りに伴なうリミッターの解除は、自分の中にない知識や能力を取り出せるわけではありません。神憑りすれば何でも出来る万能の存在になれる、と思ったら大間違いです。出来ないことはたくさんあります。本当に神憑りを体験したことがない、中途半端な耳学問しか持っていない宗教家達は、夢を膨らませすぎて、神憑りすれば空をも飛べるような夢物語を書き並べてしまいます。そういうものは、神憑りの原理上絶対にありえない現象です。儚い幻想ですから信じてはいけません。また、脳のリミッターを長時間解除したままにしておくと、脳がオーバーヒートして細胞単位で過労死する危険性もあるので、再封印する必要があります。

 神社のなかには、御神体が甘南備山の山体とされていて、山頂付近にある長い年月落雷を受けて磁化した鉄分の多い花崗岩の磐座(いわくら)で神事が行われることがあります。そのような場所で神楽を舞うと、磁気の中でリズミカルに頭を揺り動かすことになるので、周期的に変動する磁気刺激を脳に受けることになります。脳を磁気刺激する効果については、経頭蓋磁気刺激装置による研究が進んでいますが、この装置に比べると、はるかに弱い磁気刺激でも、脳が強く反応する変動パターンが含まれている場合には十分な効果が得られます。磁気を帯びた隕鉄製の神剣などを手に持って剣舞の動きをすると、非常に好ましい変動パターンの磁気刺激を受ける形になるので、トランス状態に移行してリミッターを解除した結果をより高めることが出来ます。

 ここまで読み進めば、神憑りして託宣する神事が、単純に昔話の神話を読んで伝説上の知恵者をイメージして、自己催眠でなりきって思考をシミュレーションしているだけではないことが分かると思います。神社に伝わっている神の中には、その人の生前の心の在り方を写し取ったとされる、人格の母型(マトリックス)が伝承されていることがあります。これは、芸能人の物真似を考えると分かりやすいでしょう。立ち居振る舞いだけでなく、気質や発想のパターン、つまり脳の使い方の情報も含まれています。一族に、記紀の神話の世界ではとんでもない乱暴者とされているスサノオマトリックスが伝承されています。面白いことにそのマトリックスをまとってみると、非常に穏やかで豪胆な人物で、これって和魂(にきたま)? と思ってしまいます。天照大神成立以前の古い神道の世界がどうだったのか調べていくと、スサノオの信仰のほうが盛んだった時代があることが分かってきます。つまり記紀の神話の中で農作物に災害を及ぼす悪役に仕立てられているスサノオは、本当の姿を正しく伝承されていない可能性があるのです。もちろん、うちの一族に伝承されてきたスサノオマトリックスが、生前のスサノオの姿を正しく伝えるものかどうか、千数百年も前の人物のことですから、検証する手段がないので分かりませんが、記紀の記述の怪しさは、すでにほとんどの歴史学者の共通した認識なので、記紀と一致しない内容のマトリックスを伝承していることは、むしろ肯定的に受け止めることができるのです。祖父の代ぐらいまでは、このマトリックスが神様の霊の実体と考えられていたようですが、近年になって大きく認識が変わってきています。脳の研究が進んできたため、ミラーニューロンなどが働いてエンパシー能力によって受け継がれていくものだということが、ある程度分かってきたので、神秘的な霊の存在など考える必要がなくなりました。認識上の混乱を招くオカルト用語を排除する意味で、マトリックスという言葉に置き換えて用いるようになりました。脳のリミッターを解除する技術を、神道の世界に閉じ込めておくのはもったいないので、もっと多くの人々が有用に活用できるようにしていく構想を持っています。そのときには、神憑りや憑依妄想といったオカルト系の誤解を招きやすい言葉ではなく、キャラクターへの変身といった、広く一般に流通している表現を用いていくことになるでしょう。


 神憑りする対象は、なにも神社に祭られている神だけでなく、人格がイメージできるものなら、なんにでも自己催眠で変身できることが分かっています。漫画やアニメのキャラクターへの変身を御伽噺と思っていたら大間違いです。神社に伝わる自己催眠の技法を学べば、誰にでも可能になります(笑)。絵空事ではない本物の変身魔法が伝承されているのです。子供達に自己催眠の技法を教えてあげると、大喜びで変身ゴッコをします。本当に子供は変身が好きですね。そういう遊びを通して社会的役割にふさわしい振る舞いについて学んでいくのです。『リニアとスパイラル 西洋型と東洋型の思考様式の違い』で、人は日常生活の中でも、社会的役割りに応じたペルソナ(仮面)を、ほとんど意識することなく自然に使い分けていることを解説しました。これって、じつは変身と非常に近い事柄です。あまりにも日常的に複数のペルソナを使い分けているので、違和感を感じる人はいませんが、文化圏が異なる人が見たら、どうして教壇に立っているときは「先生は」と話していた人物が、友達と話をするときには「俺は」なんて言って、態度や言葉遣いがガラッと別人のように変わってしまうのか、不思議に見えて、こんなにコロコロ変わる人が信用できるのか? なんて思ってしまうのではないでしょうか。

 社会的役割に応じたペルソナの使い分けは、現代社会で生きるうえで非常に重要なものです。しかし、それだけで終わってはもったいない気がします。そこで、『リニアとスパイラル 西洋型と東洋型の思考様式の違い』のなかで、深層心理の次元に内在しているさまざまな要素をアバター化して、内観できるようにデータベース化する工夫について紹介しておきました。ユングの深層心理に対する考え方によると、夢の中に現れるメッセージ性を持った象徴的な人物達とコミュニケーションを持つことで、コンプレックスを解消したり、心を成長させていくことが出来るとされています。しかし、夢を見て分析する方法には、幾つかの欠点があります。人間は目が覚めると、夜見た夢のほとんどを忘れてしまいます。深層心理からのメッセージを受け取りそこなって、心をメンテナンスしにくい問題を抱えているのです。ところが、ここに神道の世界に伝わる自己催眠の手法を採り入れると、新しい可能性が拓けてきます。催眠の技術を用いて、夜夢を見ている状態に意識を近付けておいて、夢の中に現れる象徴的なメッセージ性を持った人物を動かしている深層心理が本人の体を動かすように暗示を与えると、どうなるか、鋭い人はもうお分かりと思います。ユングの手法では、夢の中でしかコミュニケーションできなかった、アニマ・アニムス・グレートマザー・オールドワイズマンといったマナ人格の元型達と、目が覚めた状態で、しかも他の人にも客観的に見える状態でコミュニケーションできるのです。つまり、深層心理とのダイレクトなコミュニケーションを可能にする技術こそが、神社に伝わる神憑りの神事の正体なのです。神社で鈴を鳴らして手を合わせて神に祈るとき、人は自分自身の心に向かって祈っています。神は心の中に存在しています。でも、それは意識上ではなく、深層心理の次元に存在しているんですよね? そして、神憑りの神事を使えば、深層心理を自分の意識上に引き上げて顕現させて、コミュニケーションを取ることが可能になるのです。心の文化は、深層心理との対話が重要で、神社の参拝システムはそのために存在しているものなのです。

 具体的な例で説明します。ある先端恐怖症の子供を持つ両親が、思い悩んで私のところに訊ねてきたことがありました。その子は、尖った物を見ると極端に怖がることを理由に、学校で尖ったものを突き付けられる虐められかたをして、悲鳴をあげて泣きながら家に帰ってきて、二度と学校に行きたくないと言い出したそうです。すでにカウンセリングも受けていたようですが、何の役にもたっていないと感じたそうです。そこで、私はその子に対する感化力を高めるために、神楽鈴を用いて巫女舞をして耀姫に神憑りしました。まるで別人のようになってしまったので、何が起こったのか分からず戸惑う様子を見せていたので、「自己催眠の暗示を用いて神憑りしたのです」と説明して、「これからこの子の心の中の先端恐怖症を生み出している深層心理を、意識上に呼び出してコミュニケーションできる状態にします。私が別人格になったように、この子も別人格になりますが、心配はありません」と言って、そっと男の子を抱きしめて軽くリズミカルに神楽の舞の動きをしただけで、その子は私の胸の中ですぐに安心して、リラックスした状態で舞のリズムに導かれて催眠状態になりました。詳細は省略しますが、暗示の言葉を用いて、先端恐怖症を生み出している深層心理を擬人化したアバターをその子の体に憑依させると、怯えきった状態で涙を流して震えていました。「あなたの名前は?」と質問して名前を聞き出しました。化身のアバターに適当な名前を名乗らせることに成功すれば、本人の人格から分離した別の存在として、確実に深層心理を制御できるようになります。「可愛そうに。あなたはこんな姿に育つべきではなかったの。生まれて来たところにお帰りなさい。」と名前を添えて告げると、驚いた顔で私をじっと見ていましたが、頷いてその子の意識から離れました。体から力が抜けたようになった男の子の名前を呼んで、普段の人格に戻したあとで、私が自分の腕の皮膚をつまんで安全ピンを刺して止めて見せました。もう一つの安全ピンを取り出して、男の子の腕の皮膚をつまんで刺す仕草をして皮膚に先端を触れさせましたが、まったく怖がりもしないで、落ち着いた信頼しきった様子で私の目を見ていました。「怖くないのが不思議? でもこれが当たり前なの。」私の説得に応じて深層心理が初期化されて正常な状態に戻ったので、先端恐怖の反応は消滅していたのです。「勇気のある強い男の子になりなさいね。」と言ってあげると、素直に頷いていました。勘が良い人は、これが神社のお払いの神事と同じだということがお分かりになると思います。「払いたまえ清めたまえ」と、ただ形式的に御幣を振り回すだけでは、なかなか人の心を癒すことは出来ません。本当のお払いは、このようにして行う、深層心理のメンテナンス技術なのです。


 世界中に見られる、古い時代の伝統的なお祭りのなかでは、雰囲気に感化されて神憑りして、憑依妄想を持った状態になるのは、シャーマンだけではありませんでした。参加者の中にもトランス状態になる人がいたことは、文化人類学の方面のさまざまな研究資料に残されています。精神文化を理解できない西洋医学の視点に立っている精神科医達は、神憑りを病的な異常現象と解釈して、薬による治療が必要と短絡的に考えてしまうようです。ところが、実態は、深層心理と対話して心をメンテナンスして、心を浄化するセラピー上大切な精神文化的行為になっているのです。自己催眠によって心の中から深層心理の化身が現れるのは、夢の中にメッセージ性を持った象徴的な人格が出現するのと同じ意味を持っています。心の癒しが必要だと本人の深層心理が判断したからこそ、お祭りの雰囲気を利用して、表出してきているんですよね。心のメンテナンスを求める反応を示している人々を、無理解に精神病院に送り込んで、間違った投薬をするのが、本当に正しい行為なのでしょうか? 脳内の神経伝達物質のバランスが崩れるといった物理的要因で起こっている精神疾患ならば薬を用いた治療が必要ですが、純粋に心因性(暗示性)の憑依妄想の場合は、心をメンテナンスすれば済むことです。誤処方によって薬剤因性精神病の状態にしてしまうなど、とんでもない錯誤だと思いませんか?

 日本各地の神社に伝承されてきた神憑りの技法が、近年、本質的な在り方を見失って、失われていきつつあるようです。「昔は託宣があったらしいが、今ではほとんどそんな話は聞かなくなった。」と話す神職の方が多いようです。神社によって信仰形態や、作法や考え方も大きく異なるので、干渉は禁物と考えて、「そうですか」と表面的には軽く受け流していますが、内心寂しく思います。神道には一般公開されない、部外者に見られてはならない神事も多数く存在します。じつは重要なものは非公開神事に含まれていることが多いので、伝承していても表に出ていない場合が多いのです。そこで、神道から心のメンテナンス技術を分離することが必要と考えています。心を浄化して、幸せな生活をおくれるようにする、伝統的な技術の体系を活かしながら、宗教臭さを取り払った、現代社会のライフスタイルにふさわしい形に再構成して、セラピーとして役立てて行く道はないかと思っています。ところが、耀姫は、平安装束を着て頭に天冠を乗せて領布(ひれ)をなびかせ、扇子を片手に優雅に振舞っているほうが、感化力が強くて癒し効果が高いようなので、少し困っています。高句麗道教の時代から約二千年の伝統の技には勝てない、そんな気もします。


 え? 特別科学的視点からの考察と感じることが書かれていない? もちろん私が専門とする、「遺伝子がどのように脳を作り出しているのか」という切り口から脳の構造がこうなっているから神憑りはこうなるって、いろいろ説明できます。でも、そういう知識を持ち出さなくても、神憑りの現象が、非論理的な怪しげなものではないことを、きちんと説明できてしまうので、出番がなくなったのです。一般の人向けの読み物だから、説明は易しければ易しいほどいいと思うんですね。といっても、読みこなすには心理学の予備知識はある程度必要でしょう。

 催眠によって普段意識している本人とは異なる深層心理が表面に出てきて、本人の意思とは無関係に、思ってもいないことを口にするのを観察すれば、意識と人間の知的思考能力が分離できるものだと分かると思います。『アスペルガー症候群の勘違いと、深層心理の教育の関係』の冒頭で、私は以下のように説明しました。

 アスペルガー症候群は一般に、知能に問題が見られない発達障害のように把握されていますが、これは大きな間違いです。明らかに知能に問題が認められるのに、その点が正しく理解されていない問題があります。人間は意識して言葉でものを考えているだけではなく、深層心理の次元で、無意識のうちに連想して物事を考えます。この部分が、人間の知的情報処理の中核であり、知能の本体です。

 人間の知能は意識の活動と切り離せないと考えている人々もいます。でも、催眠の現象を観察すると、本人が意識出来ない深層心理も、物事を考えていることが見て取れます。意識と人間の知的な思考能力は分離可能という見方も捨て難いことが分かると思います。これ以上のこみいった話は、また別の機会に譲りたいと思います。


 夢の中に出現する、深層心理を擬人化した象徴的な人格を、催眠暗示を用いて覚醒時の意識上に引っ張り出す技術は、いろんな応用が考えられます。たとえば、リネージュ2といったネットゲームをプレイするときに、催眠術を使って「あなたは勇者です」と言ったらどうなるでしょう? ネットゲームに慣れた人は、自分の意思とは無関係に勝手に手が動いてキーボードを操作し、自分が考えもしないチャットが行われて、ゲーム世界のキャラが自分の意思とは無関係に勇者として振舞ってゲームを進めていくのを感じます。夢を生み出す深層心理をゲームに適用しているのですから、文字通り、夢をプレイするゲームになっています。催眠現象をネットゲームに適用すると、プレイヤー本人にも自分のキャラクター(アバター)がどういう選択をして、ゲームがどのように進行していくのか、まったく予測が出来ない状態になって、新しい楽しみ方ができるのです。神憑り状態に移行して、脳のリミッターを解除できれば、意識容量が拡大して、認識できる事柄の数が飛躍的に増えて、ゲーム画面がスローモーションのようにはっきりと見えるので、普段出来ないような神憑り的なプレイが可能になります。あとで普通の脳の状態に戻ってから、自分で同じプレイをしようと思っても、どういう判断を働かせてプレイしたのか、人間の状態では理解できないため、神憑りのプレイは再現不可能です。面白いでしょう? 子供の頃私が某ゲームで率いていた軍団は、サーバーの全城を制覇しましたが、神憑り的な強さを発揮していたのは、軍団の核となるプレイヤーが本当に神憑りしていたからなのです(笑)。私が率いる神々の軍団に、一般の人が戦争を仕掛けてもまったく歯が立たず、全盛期は常勝を誇っていたのも当然のことでした。といっても、一人勝ちの状態を嫌った私が、敵対陣営にもう一人キャラを作ってレジスタンスを組織し、不敗の軍団を攻め滅ぼす行動に打って出るまで常勝だった、というだけのことです。けっきょく、私が率いたレジスタンスの少数精鋭部隊に対して、神の軍団は手も足も出ずにたった2週間(2戦)で崩れ去って解散しました。集団対戦型のネットゲームは、一人勝ちの状態を作ってしまったら面白くないので、この処置が妥当だということは、ネットゲームをよく知る人ならお分かりになると思います。


 なにも神楽を舞わなくても、神剣を周期的に揺り動かして、脳にリズミカルに変動する磁気刺激を与えているだけで、催眠暗示にかかり易い意識状態に移行できます。私が神剣を振っているときの磁気の変化をセンサーで捉えて記録して、必要な要素を抽出して、経頭蓋磁気刺激装置の8の字コイル型の電磁石を用いて再現した場合にも、催眠暗示にかかり易い意識状態に簡単に移行できます。経頭蓋磁気刺激装置を自己催眠補助装置として用いて、十分な修行を積んでいない巫(かんなぎ)でも神憑りできるようにすることが可能です。多くの神社で神憑りの技法が失伝してしまい、託宣もなくなっているようですが、経頭蓋磁気刺激装置を神憑りの補助に用いれば、失われてしまった神事を復活させることが可能になります。もちろん、神憑りの実態は、伝説上の古の賢者の優れた思考をシミュレーションして、懸案を解決するためのアイディアが閃きやすい脳の状態を作り出す技術ですから、何も神社の神職だけのものではなく、広く一般の方が知能を高める技法として活用する道が開けると思います。神憑りを補助する脳機能拡張装置という言い方では、一般の方は誤解しやすいので、やはり、催眠暗示補助装置といった呼び方が適当でしょうか。私達はヒプノマシンって呼んでいますが、これも今ひとつ分かりにくい印象を与えることがあるようです。脳リミッターを解除する補助装置として経頭蓋磁気刺激装置を活用することも可能ですが、脳のリミッター(安全装置)を機械的に解除する技術は、不自然な使い方をして脳に負荷をかけすぎると、オーバーヒートによって脳を細胞単位で過労死させていく危険性も伴うので、現時点では一般公開出来ない封印技術という扱いです。

 ここまで解説すれば、神憑りの神事を、現代のハイテク装置を用いた技術の中に移植して、復活させることができている現状を十分認識できたと思います。『神社に伝承されている防疫技術、結界について』のなかで、私が高校生の頃主催していた電脳研究会の活動を紹介しましたが、神憑りの現象を科学できる時代になって、すでに久しいのです。