神社に伝承されている技術と迷信の関係

 『我々は迷信行動を行うハトになっていないか?』という面白いブログを読んで、私も医薬品の開発に関わることがあるので、民間療法や医療と迷信の関係について、少し書いてみることにしました。


 医薬品の評価は、難しいものがあります。医師が「この薬は効きますよ」と言って、何の効果もない薬を患者に与えても、ある程度治療効果が認められるデータが得られてしまいます。効かない薬でも病気に効いてしまう不思議な現象が生まれる原因は、暗示効果にあります。「病は気から」の部分に作用して、暗示を与えるだけでも一定の成果が得られてしまうのです。これをプラシーボ効果と言います。偽薬を与えても人の病は治ることがあるので、心身医学の分野では有効な治療手段と考えます。もちろん、新薬の研究を行うときには、このような効果を排除する試験方法を採用しないと、本当に薬の成分が効いているのかどうか、正しく見極めることが出来ません。


 インフルエンザワクチンは、じつは最も必要のないもの、という見解を示す方々がいます。「これは医療ではなく政治」と語った医療関係者の方々の真意を読み解こうとすれば、昨年からの新型インフルエンザを巡るおかしな情報の流れの本質を見極めることが出来るでしょう。ワクチンの考え方そのものの中にも、じつは迷信が含まれています。天然痘を防ぐ種痘(牛痘法)の発見から始まっていますが、これは、危険視されて廃止しなくてはならなくなった問題性のある技術です。私はどこに迷信があるか指摘できますが、ほとんどの専門家がまだ問題の本質に気付けない状態にあると感じます。今回は西洋医学の迷信を解き明かすのが目的ではないので、この問題への言及は、またの機会に譲ることにします。

 私は生まれてから一度も風邪をひいたことがありません。だから、風邪をひくということが、感覚的によく理解できません。悪い物を食べてお腹を壊して痛くなった経験がないので、腹痛というものもよく分かりません。虫歯菌が口の中に棲んでいないので、虫歯が出来たことがなく、歯が痛いとはどういうことかも理解できません。つまり、古い日本の伝統文化の風習に沿った生活をしていれば、風邪をひかず、腹痛にならず、虫歯も一本も出来ず、健康に過ごせるということです。ワクチンなどを開発して病気を防ぐ高度な技術を発達させた西洋医学の世界のほうが、東洋よりはるかに進歩していると思っている人々は、「えー?」と驚くと思いますが、虫歯という伝染病一つ取ってみても、西洋医学では防ぐことも撲滅することも出来ていないのが現実です。あえて、一般の人の視点から書きますが、口の中を殺菌すれば虫歯菌なんていなくなる筈ですよね? でも、成功したって話を聞いたことがありますか? なぜないのでしょう? こういったところに、薬を使った殺菌神話の致命的な問題点が潜んでいます。隠蔽されてしまった真実が見えなくなっています。東洋の防疫技術は劣っていて西洋の技術は優れいているという発想も、私から見ればただの幻想、迷信の類にすぎません。

 神社に伝承されている風邪を防ぐ技術の体系には、物心二面があるのですが、物理的に風邪の病原体を食い止める技術は、「うちわ」という日本語が生まれた経緯を調べていくと、はっきり正体が見えてきます。簡単に言えば、植物に含まれる精油フィトンチッド)を主とするバリアー(結界)が張り巡らされて、病原体が力を持った状態で体内に入れなくしてしまう技術の体系が存在するのです。この工夫は西洋の世界にもあって、昔は、ローズマリーといったハーブを療養所の周囲に植えていました。アロマテラピーに詳しい方は、どう使えば防疫技術が組み上がるか、ある程度お分かりになるでしょうが、本格的な有効性を持ったものに育て上げるには、ノウハウの蓄積が必要になります。虫歯菌のほうも、感染経路や口内に棲みついて除去できなくなるメカニズムを調べていけば、どうやって防げばいいか、おおよそ見当がつきます。でも、子供の口の中に虫歯菌を定住させないためにはどうすればいいか、熱心に指導している歯科医って、あまり見かけませんよね? このような面は西洋医学に比べて、はるかに優れたものを私達は祖先から受け継いできていると思います。でも、一般の人はその恩恵を十分受けられていませんよね。どうしてでしょう? 古い時代から伝承されてきた優れた文化や技術を、ただ闇雲に非科学的と決め付けて迷信扱いして、自分達で受け取りを拒否してきたからです。


 神道の世界に存在する言霊の効果も、勘違いが生じやすくてややこしいものの一つだと思います。小学生のときこんなことがありました。風が水田の苗の上を撫でて太陽の光を反射して輝くのを見るのが好きなので、私は他の子達が歩かない水田の細い畦道を歩いて、毎日学校に通っていました。神社で神楽を舞って神憑りして託宣する神事を担当しているため、まるで生き神様のように扱われるところがあります。言霊を響かせて和歌を詠んだりハミングしながら歩いていた畦道の両脇だけ苗の成長が早いことに、ある日気付いた農家のお爺さんがいました。私に向かって突然両手を合わせて拝みだしました。通行の邪魔になっていたので、お爺さんが惚けて変なことを始めたと勘違いしたその家の人達は、あわてて手を引いて動かそうとしました。私は「お待ちなさい」と言って扇子の一振りで制止しました。お爺さんは、「耀姫様は毎朝私達の心を和ませてくださるだけでなく、心がない植物の心まで動かす奇跡をお示しになった」と、感激した面持ちで話しました。それを聞いて、集まった人達は一斉に驚きの声を上げました。私が歩く道に沿って苗の成長速度がはやくなっていることが、一目瞭然だったからです。

 お爺さんを見習ってみんな手を合わせて拝みはじめたので、私はこう言い放ちました。「私が子供だからって、そんな迷信を語って騙そうとしても無駄です」傍から見れば、一筋縄ではいかない扱いづらい子ですよね。何の粗相をしたのか分からない様子のお爺さんが、私の背後で土下座をする気配がありましたが、背を向けたまま立ち去りました。その日の午後、お爺さんは心を痛めた神妙な面持ちで私の家までやって来て「お恐れながら、耀姫様を騙すつもりなど毛頭ありません」と、畳に額をぴったりつけた姿勢のまま喋りだしました。付き人が内心くすくす笑いながら、表面的に不機嫌な素振りを形だけ作って「耀姫様が口ずさむ唄が、心がない植物の心を動かしたなどと、迷信を語ることは許されません」と柔らかくたしなめるように、しかしきっぱりと告げました。

 それでも納得できないのか、動こうとしなかったので、わざわざ私の口から道理を説明してあげるしかありませんでした。「言霊を、いかがわしい迷信と勘違いしているようですね。私の言霊の作用は、科学的視点からも説明がつく本物です。植物は録音した音楽を聞かせても、成長が早くなります。言霊は植物の心を動かしたのではなく、多細胞生物の植物を構成する細胞を一斉に揺り動かしたのです。大勢の人がボートを漕ぐときに、リズムよく号令をかけて動きを揃えて力を合わせるとよく進むように、私が言霊を聞かせたことで植物の細胞に音の波が作用して、細胞間の動きを揃えることで、力を合わせて強い生命力を発揮できる、協調性が高い状態が生まれた結果なのです。」お爺さんは、目の当たりにした奇跡の正体を理解したらしく、納得して帰りました。

 人間の集団は、太鼓を叩いて歌を歌って集団心理を形成することで、協調した社会行動を取ることが可能になります。歌は多くの人の脳に対して、同じリズムを刻むので、共感によって人間の集団を心理的にまとめて、動きが揃った大きな力を引き出すことを可能にします。地引網のときに歌う労働歌などが典型的な例でしょう。歌は、人間の集団の次元に働くだけでなく、人間の細胞の集団レベルの情報伝達の次元でも、同じように働いて協調現象の調整に役立つことが分かっています。朝起きて、お経を唱えるのと、祝詞を唱えるのと、好きな流行歌を歌うのでは、文化スタイルが大きく異なりますが、結果的に同じ効果を持っています。歌えば脳が目を覚まして、免疫活性を高めてくれることが、心身医学の分野の研究で明らかになってきました。出来れば、言霊を響かせる歌い方のほうが、より多細胞生物の細胞間の協調性を高めてくれるので、効果的でょう。

 もともと科学的見地から発達していった技術の体系ではないので、言霊に関する論文を書いて発表するような、木に竹を接ぐ不自然なことをするつもりはありませんが、言霊を巡る主要な伝承技術には、迷信が入り込む余地はありません。もちろん、いろんな宗教家がいて、さまざまな身勝手な独自の発想をして、枝葉をくっつけていってしまうのが宗教です。現在の多種多様な神社に伝わる言霊にまつわる伝承に、迷信が含まれないとは言いません。むしろ、カビが生えるように迷信的要素が付着しやすいものなので、伝承されている情報の取り扱いは要注意と考えるべきでしょう。技術を構成する骨子の部分を見失うと、科学知識を身に付けている現代人ですら、迷信とそうでない部分の混同が生まれかねません。

 神道の前身となった高句麗道教の時代から、私達が約二千年間伝承してきた技術の体系の本質的な部分は、そのほとんどが迷信でないことが分かっています。役に立たない技術は、何百年何千年と経過していくうちに、失伝していきます。自然に迷信がふるい落とされていけば、後には正しい有用なものだけが残る結果になるのです。さまざまな役立つ技術が伝承されていても、正しい形で理解できない状況を作ってしまっているものは何かを見極めないと、古い文化に接する現代人のほうで、無理解に迷信的行動を取ってしまう状況に陥ることになります。


 神社に伝わる技術のなかで、最もややこしい勘違いした扱いを受けているのは、加持祈祷でしょう。これって迷信なのでしょうか? 本当に? 短絡的な結論を出すのを少し待ってください。加持祈祷とは何か、内容を観察していくと、一般に知られている認識とは正反対の姿が見えてきます。加持祈祷にもいろんな人がカビを付着させているので、その部分を見てしまうと迷信だらけだと感じると思います。迷信とそうでない要素を見分けて、本質を見極める必要があります。ここでは主要な3つの点について観察してみることにします。

 医療が発達していなかった昔は、病気になったら加持祈祷を行うのが常識でした。ところが、水戸黄門などの時代劇では、護摩を焚いて一心不乱に祈る祈祷師の姿を、いかがわしい迷信に陥った人々が取る典型的な行動として扱っています。「迷信を植えつけて人心を操って世の中を乱す、いかがわしい悪党の集団を懲らしめる必要がある」というパターンのストーリーがお約束になっていますよね。でも、現実の世界では違います。祈祷を行う神社にいる神主達は、時代劇に登場するような悪党ではありません。現代の神主達は大学を出ている人も多く、非科学的な迷信とそうでないものぐらい見分ける判断力を持っています。迷信深い人のほうが少ないでしょう。作り話の世界と現実は大きく違うので、混同しているとそれこそ迷信に陥ることになります。

 すでに祈祷の効果は、言霊の説明で明らかにされていますよね。耀姫が言霊が響くように歌うと、体細胞の協調性が改善されて、衰えていた生命力が蘇るリフレッシュ効果が期待できます。歌うと、脳から免疫細胞に対して出される命令などが調整されて、免疫活性が回復する効果が期待できるという研究は、歌を用いた健康法としてかなり知られるようになってきました。古臭い祈祷を耳障りに感じてしまう現代人が多いので、何も無理して古臭いスタイルを維持する必要はなく、好きな流行歌を一緒に歌ってあげたほうが、はるかに気晴らしの効果が高いことも分かっています。

 アルツハイマーの診断を受けた人達が入院している施設に行って、「あなたーを待つの♪テニスコート〜♪」って、私が言霊を響かせて歌うと、それまでボーっとしていたお年寄り達が、「何事が起こったの?」と、集団心理を働かせて、目が覚めたように一斉に振り向きます。超音波成分が脳細胞を刺激する効果が高まるように声の響かせ方を工夫すると、頭がキンキンするという人もいますが、目が覚める効果が倍増するようです。

 次の要素として、加持祈祷では神憑りも行われます。神憑りの正体は自己催眠です。トランス状態(変性意識状態)に移行して神憑りする(神様になったという暗示にかかる)と、精神的テンションが高くなるのはもちろん、脳のリミッターが解除されて、思考能力や身体を調整する機能が飛躍的に高まることが分かっています。その状態で病人に対して手をかざしたり、息を吹きかけるといった仕草を用いて接すると、精神感化によってミラーニューロンなどを刺激して、健康を維持するのに重要な働きをしている自律神経系や免疫系の働きが調整される効果が期待できるのです。

 自閉症の子供達をイルカと遊ばせると、イルカの鳴き声に含まれる超音波成分が脳を刺激して、改善が見られることが知られています。ドルフィン・アシステッド・セラピー(イルカセラピー)については、肯定的な人と否定的な人がいますが、人間が意識できない音域の超音波成分が、脳細胞に刺激を与えている点については、否定派の人も認めています。耀姫の言霊効果に興味を持った海外の研究者に招かれたことがあります。私がイルカと体を接触させて仲良くなっていくと、エンパシー効果だけでなく『相撲は神社に伝わる最高の格闘技ではない(朝青龍「泥酔致傷騒動」を見て思うこと)』のなかで紹介した手乞い(てごい 合気道)の技の作用が相乗して、私の脳とイルカの脳がシンクロした状態になります。自己催眠のトランス状態(変性意識状態)になって脳のリミッターを解除してから、言霊を響かせて詠うスキルを用いて、イルカの脳に干渉して鳴き声をコントロールすると、予想どおり、自閉症の子供の脳に与える効果が大きく高まることが明らかになりました。これは、磁気センサーで脳の活動を観察した結果なので、一目瞭然見間違えようがありませんでした。エンパシー能力が高いイルカの調教師は、信じられないような顔をして、「まるで耀姫がイルカに憑依して詠っているような気がする」と指摘していました。合気道の体がくっつく系統の技の原理を知らない人が見たら、イルカと人間が脳をシンクロさせて歌う行動に神秘性を感じても無理はないと思います。イルカは人間ほど感情が豊かではないので、鳴き声の種類はあまり多くないのですが、人の脳とシンクロすることで、普段とは違う鳴き方で子供に感性豊かな接し方をしていることが調教師にははっきり分かったようです。イルカの脳の足りない部分を、私の脳で補った結果です。合気道で、技をかける人の体にくっつかせて、新たな行動を作るのも、イルカの脳を制御して新たな行動(この場では感情豊かに歌う行動)を作るのも、原理は同じなのです。実際にその場でその人に合気道の技を用いて、私の体に手が吸いついて離れなくなって、指示通りに体が操られる現象を体験してもらいました。「海水で濡れている状態で弱帯電するんですか?」と、唖然としていました。私は物理学者の保江邦夫が著書『武道vs.物理学』の中などで解説している帯電現象では説明しきれないケースと考えています。『量子脳理論とポラリトロニック・デバイス』で私が示した電磁的な情報伝達が起こって、お互いの脳が干渉した結果、行動が発現していると見るのが妥当でしょう。


 つぎの項目に移ります。加持祈祷では護摩を焚きますが、じつはこれも迷信ではありません。アロマテラピーに詳しい人なら、あまり説明の必要はないでしょう。植物には免疫細胞がないので、細菌やウイルスから身を守るために、抗菌・抗ウイルス作用を示す化学物質を作って蓄えています。木を燃やすと精油に含まれるそれらの成分が噴出してきます。護摩を焚いて病人のいる部屋に精油分が含まれる煙を満たすと、殺菌作用やウイルスを失活させる作用を持つさまざまな成分の働きで、空気感染するような伝染病を物理的に抑え込める可能性があります。医薬品には植物の中から発見された成分を抽出したものが多いことからも、焚く樹木の種類によっては、うまく機能する可能性があることが分かると思います。もちろん、体内まで殺菌できるわけではないので、病気の種類によってはほとんど意味がないこともあります。だから、護摩を焚くのは万病に有効だなどと妄信したり、中途半端な知識でデタラメをすれば、ただの迷信にすぎなくなります。つまり紙一重です。植物の精油成分を胸に塗って吸引するタイプの風邪薬として市販されている、ヴィップス・ヴェポラップといったものも、護摩を焚くのと同じような効果を狙っていると言えるでしょう。また、人間は肺からもさまざまな物質を体内に摂りこむことができます。海浜浴は、半日ぐらい砂浜の日陰で過ごして、海風に含まれる海に溶けている希少ミネラルなどを肺から吸収して、免疫力を取り戻すことがその目的とされています。護摩を焚けば、植物からも希少ミネラルなどがある程度噴出して、肺から摂取する効果が期待できるでしょう。

 というわけで、加持祈祷を構成する主要な要素である、祈祷・護摩・神憑りは、どれも迷信とは言えないものなのです。水戸黄門などの時代劇は、科学的な根拠の有無を推察する能力を持った人が、じっくり考えてお話を作っているわけではないので、間違ったレッテル張りが起こっても仕方がないのかもしれません。西洋医学の世界の、伝染病を食い止める技術に穴が空いているのは事実ですが、加持祈祷のような伝統的な民間療法に頼らなくても、医療を受ければほとんどの病気が治るようになってきているのもまた事実です。うちの一族は、古い時代のものをかなり正確に伝承していますが、ほとんどの神社は伝承内容が不確かなものになっていき、失伝する傾向を示しています。現在では、形骸化したただの迷信にすぎなくなっているケースのほうが、圧倒的に多いようです。そういった残滓を無理に信じようとするのは好ましくない結果を招くと思います。


 うちの一族が管理する神社に、難病に苦しんで相談に来る人が稀にいますが、親戚が経営する病院などを紹介して、私達が宗教人の立場から治療に関わることはまずありません。私は生命情報学畑の人間ですが、その活動と宗教はまったく別ジャンルのものです。大規模な地震災害が起こったときには、ボランティアとして被災地に赴いて、救援活動にあたることがあります。阪神淡路大震災のときは、医師の資格を持っている従兄弟達だけではとても手が足りない状況だったので、当時小学生だった私も、被災地に入りました。手かざしで痛みを止めてあげたり、手を当てて挫滅した筋肉の炎症を抑えて、クラッシュシンドロームで死亡するリスクを下げる処置をしたり、骨折部分を繋いで添え木を当てるだけでなく、筋肉を制御する神経系に精神感応を用いて割り込んで、怪我をした部分を筋力で固定するように命令を刷り込んだり、止血のために包帯を巻いただけではなかなか出血が止まらない場合は、血管(も筋肉の一種)に命令して出血部分の血流を適度に抑えて止血したりといった、一般にはあまり知られていない技術を駆使した救援活動を行ったことがあります。でも、それらはあくまでも緊急時の応急処置の範囲内です。ボランティア活動ですから、もちろんお金など取ることはありませんでした。平常時は、医者でもない私達がこのような伝統の技を使う必要はないので、治療が必要な方は病院に行ってもらうようにしています。ほとんどの一般の神社は、私達と同じ考え方を持っていると思います。そうではなく、ミスターマリックの物真似のような手つきのハンドパワーで難病を治すことに熱心な宗教家の方々には、疑問符をつけたほうがいいのではないかと思います。とくに、何でもかんでもハンドパワー(手かざし)や浄霊で処置できるような話をして、応用的なバリエーションがないようなら、体系的な技術を学んだことがない人と見てほぼ間違いないでしょう。

 浄霊についても少し解説しておきましょう。この技術は、じつはオカルト的な霊の存在を考える必要がまったくありません。私は霊の存在など、いっさい信じていません。浄霊術の霊は、夜見る夢の中に出現する人物となんら変わりがないのです。フロイトユング深層心理学の考え方では、夜見る夢に現れる人物は、何らかの意味があるものを象徴していることになっています。浄霊術の霊も、それとまったく同じです。中学・高校生だった頃、放課後になると私の机の前に行列が出来て、「肩凝りがあるので取り払ってください」といった頼み事をされることが多かったのですが、私が使う浄霊術は、かなり変わっていました。まず、首・肩・腰をほぐす運動をしてもらってから、壁に背中をつけて背骨を真っ直ぐにして姿勢を正すように言って、問題点を自分で把握してもらいます。「肩の上に何かが乗っている感覚や、首の硬くなったところに何かが触っている感覚がありませんか?」と質問します。「なんだか重いです」「その重さや硬さを作り出す、悪さをしている存在がいると思ってください。あなたの体を歪ませている、悪い癖を作り出している存在を、うまく擬人化してイメージできれば、それを除去する暗示を与えることで、悪い習慣を取り除いて楽になることが出来ます。ではいきますよ。123はい、消えました。肩や首を回してみてください。軽くて楽になったでしょう?」たったこれだけです。人間は、イメージを想い描かないと、何も出来ません。体の歪みを生み出しているさまざまな動的な感覚要素を、イメージしてまとめあげるのは、簡単なことではありません。そこで、夜夢を見るときに無意識に行っているのと同じように、悪さをしている架空のキャラクターへと擬人化して象徴表現するテクニックを用いるのが、楽で確実な方法です。イメージさえ持てれば、その象徴的存在が消えて、問題が解消されるという暗示を与えて、分離・消去することで、正しい姿勢を維持する本来の筋肉の使い方に復帰させることが可能になるのです。浄霊術の霊の正体は、仮想上のイメージにすぎませんが、それを取り除くことをイメージするだけでも、十分に効果があるのです。このようなテクニックのタネ明かしの説明を受けた後でも、迷信と考える人はほとんどいませんよね。

 人間の体は、病気に慣れてしまうと、その状態が普通だと思うようになって、病気を治せという指令がうまく出せなくなっていることがあります。そうなると、慢性化した状態が改善する方向にまったく動かなくなります。ツボを刺激したり、言葉で暗示を与えたり、感化によって刺激を与えてあげると、病気を治せという指令が正しく適切に出されるようになって、快方に向かうことがあります。病は気からという現象には、こういった要素も含まれているのです。この領域は、西洋医学の盲点の部分なので、私達が伝承している技法が役に立つこともあります。二人の従兄弟が医師をしていますが、「自分が病気だと、本人の体が理解していない患者がいるから、教えてあげてほしい」と、助けを求めてくることがあります。上で示した浄霊術と同様で、こういった暗示を与えるときにも、オカルトめいた言葉を使うことを極力避けます。心霊治療のような印象を与えて、迷信に陥る人が増えるのはよくありません。こういった技法は、原理が分かってしまえば、オカルト系の説明をする必要は一切ないのです。「今太陽神経叢という、自律神経が束になった部分を刺激しています。私の手から出ているエネルギーによってお腹が温かくなって行くイメージを持ってください。暗示にかかれば、本当にお腹が温かくなってきます。それによって自律神経が活性化すれば、免疫のほうも調整されます。自分の体に病気に打ち勝つ免疫力があると信じて、毎日お腹の中に太陽があって暖かいというイメージを練る訓練をしてください。これがその教科書です」と言って、シュルツの自律訓練法という自己催眠の技法を解説した本をお渡しすることが多いんですよね。現代人には宗教色を出さずに心身医学の方面から説明していったほうが、説得力があるため暗示の効果が高くなります。古臭い宗教のイメージを暗示に用いる必要もメリットもほとんどないのです。


 最後に、心霊治療詐欺についても触れておきます。宗教を信じている、一部の人々は、困ったときの神頼みで万病が解決できるという幻想を抱いてしまい、妄信を流布したがる傾向を持っています。加持祈祷がどんな病気にでも効くなどと吹聴する宗教家の話は、要注意でしょう。虫歯の物理的欠損は、どう逆立ちしても祈祷で治る筈がありません。歯の痛を止めてほしいって言われれば、一時的になら止めることは出来ますが、それは気休めにすぎず、根本的な解決になっていません。癌についてもそうです。免疫細胞が殺して食べることができるサイズのがん細胞は、病は気からの部分を改善すると、体内から消えてなくなる可能性があります。でも、人の目に見えるようなサイズまで大きくなってしまった癌を、免疫細胞に食べろと命令しても、あまりにも大きすぎて口に入りそうもありません。そのようなケースは自然治癒が期待できないと思ったほうがいいでしょう。したがって、専門医の指導に従う必要があります。医学の専門知識を持たない幻想にとり憑かれた宗教家をアテにして難病と向き合う発想を持っていると、心霊治療詐欺に引っかかる可能性が出てきます。神様は万能で自分に治せない病はないなどと吹聴する宗教家の話は、ほぼ間違いなく迷信と思って、感化されないように距離を取ったほうがいいと思います。


 宗教と医術と迷信を巡る関係をざっと観察してみました。おそらく皆さんが今まで神社に伝承されている技法に対して抱いていたイメージが、180度引っ繰り返る情報が提示されていたと思います。長い年月淘汰されることなく伝承されてきた技術の体系は、迷信部分が脱落していって、優れた有効なものだけが残っている場合が多いのです。宗教はオカルトで迷信と決め付ける発想が、新たな迷信を作り出すことがある点を見逃していると、伝承されている有用な技術を活用する機会を失うことになります。風邪や虫歯への対策がきちんと出来ていないのは、その典型的な例だと思います。